あまり教科書的な反応はしないように。なんだか学校の先生みたいな、夏休みの課題図書とか読書感想文的文脈でしか、本が読めなくなってきている感じがします。それについて何かを論じてみるとかね。文芸評論家の花盛りですね。諏訪哲史の作品はそういう「なんかこわもての狭量な大学の先生」っぽい人の攻撃性をいたく刺激するようです。諏訪作品の衒学的で博覧強記な、どこか作り物めいた大仕掛けな文体は「ほら、言ってみて。その言葉、なんかつい口をついて言っちゃうでしょ。それそれ、それですよ。ああ、やっぱり言っちゃった」的に、「批評家の言いそうなこと」をあらかじめ先取りして肯定的評価であろうと否定的評価であろうと「なにかそれっぽいこと」を言いたい人への誘惑に満ちています。皮肉ですね。言葉にすることの恥ずかしさに身悶えする。作家も読者も。第3作『ロンバルディア遠景』はそういう優れた「身悶え小説」なので気持ちがいいですね。本は身体でも読めるんだということを思い出させてくれます。特に皮膚で。諏訪哲史は頭で書いてると誤解されてるんだろうな。哲学的な要素が頻繁に出てきますからね。だからトリックですって。諏訪氏の思う壺ですね。世間に溢れかえっている「分かりやすい小説」ほど、頭だけで書かれてるんですよ。頭だけで読もうとするから諏訪作品を難解だなんて言うわけ。ほら、やっぱり「それっぽいこと」を言わされてしまった。