一発屋と呼ばれる人が、作家にもいる。爆発的な人気や評価を得た一作を世に出しながら、その後は鳴かず飛ばずとなる人のことだ。「ジョーカーゲーム」の柳広司についても、少なくともamazonのレビューアー様達の評価を真とするならば、そうなってしまったと言えなくもない(苦笑)。
しかし、「ジョーカーゲーム」以前からの彼の作風の軌跡まで踏まえるならば、「ジョーカーゲーム」の一般的な評価である知略のぶつかりあいに手に汗握る的なものが、彼の目指す本質でないことに気付くはずだ。つまり、今の彼に低い評価を下す者の多くは、ジョーカーゲームが好きなだけで、彼の作品そのものを評価していない。
そして、本作品には、「ジョーカーゲーム」が色濃く感じられる。しかし、それはトリックや知略ではなく、戦前昭和の狂気を乾き切ったニヒリズムで見ていた者、また、知略に溺れてしまう者、そして、確実に狂っていく世界そのものだ。
「この作品は、ジョーカーゲームではないですよ」と言わんばかりの、出版社の帯文句とは正反対の宣言をするかのような本作のミステリーとしての部分のアッサリ感。犯人の動機、犯人のトリック、アリバイ、事件の真相などは、非常に古典的(ベタに言えば、手垢のついた)だ。
しかし、ラストに辿り着いた者の目に映った時代の風景は、私には漱石の「それから」のラストのように感じられ、また、その者が感じたその時代への違和感が半世紀以上を超えてアリアリと伝わるものであった。
しかし、それでも☆は4つ。結構読みこんでいる時代背景を、300頁未満では充分描ききれなかった感じがあるし、部分部分では腑に落ちない関係(例えば、主な登場人物の一人と彼の部下の関係)があった。判じ物の体裁を取りながら、判じているのは事件やトリックではなく、秘められ隠された若者達の心の奥底というのは、正統だが、伝わりきらないもどかしさがある。
ところで、巻末に荷風をはじめ多くの参考としたものがあることが記されているが、実は赤化華族に関する部分は概ね史実に即していることに気付いた方はどれだけいただろうか?そのことを知る者には、ラストで登場人物の一人に起きたことは、謎解きとか筋読みとは関係なく、分かってしまうのである。ネタバレ?いやいや、そんなこといったら、歴史小説は全てネタバレになってしまう(笑)少なくとも私は、そのオチが分かっていても、作品の価値を損ねるものとは全く思わなかった。史実と本作に作者が織り込んだ差異こそが、本作の醸し出すものの一つでもあるからだ。
ちなみに、主人公の親代わりの元老にして華族の大物の老人は、西園寺公望のこと。老人だけでなく、主人公のパリ生活を通じて培われたセンスなんてのも、西園寺から引っ張ってきたもの。