石黒さんは3つの質問を投げかけている。
1:ロボットは技術を発達させるにつれて、それまで人間の領域と思われていた情報伝達、
コミュニケーションまで実現する。だとすれば、最後に残る、最も人間らしい仕事、
人間にしかできない仕事とは何か?
2:人間の感情は本当にあるのだろうか?あるいは感情の有無で人間とアンドロイドの
違いを示すことは本当にできるだろうか?
3:当たり前だと思っている私という存在は、幻想でないと確信できるのか?
1 :無い(ただ、それはマイナスなのかと問われればそれは違うのではないかと思う)
2・3:人間の存在の保証は、それぞれ社会の他者が私(の意識)が存在するとみなすことで
、信じることで、私は存在するのであって、実際に私の意識が存在するかどうかは
疑問である。だとすれば、今の定義で言う「私」とはやはり幻想にすぎないだろう。
ところで、ロボットを作る時の技術として「ゆらぎ」というものがあるらしい。
例えばある目的地に到達したい場合、
「でたらめな動きをし、距離が近づいたら直進し、そうでなければ、またでたらめな動きをする。」
この単純なルールが一番、未知な環境においては、効率が良いという。
以前読んだ本「ダンゴ虫に心はあるのか 森山徹」で、ダンゴ虫の乗り上がりの出現頻度の時間変化について、
「乗り上がり行動はダンゴ虫の心によって自立的に選択され、発現しました。自立的とはこの選択の根拠がダンゴ虫
の”心”によって独自につくられることを意味します。そして、選択の根拠の独自性はその根拠がしばしば揺らいで
しまうことを特徴とします。なぜなら、根拠が独自的とは、それが揺らぎそうな時、支えてくれる外的存在が無いことを
意味するからです。すなわち”心”はうつろう宿命をもつのです。」
技術としての”ゆらぎ”を考えるとダンゴ虫の選択の揺らぎは、生存を高めるためにはまことに合理的であるような気もする。
心とは揺らぎなのだろうか?
迷うことは揺らぐことに似ているが、それは私たちの生存効率を高めるだろうか?