実際に買って聴いてみた。
「おいらいち抜けた」を発表した当時、「見る前に跳べ」を中心とする政治的ステートメントの楽曲はもう演奏しないとインタビューに答えていた。30年経過したが、一部再演している。
結局、それらの曲は風化してしまったことだと、ごく一時期信者だった私は、納得しているが。
ここ数十年、岡林氏が健康に過ごしていることを喜ばしいと思うが、作品では見るべき成果を残すことは出来なかったことを、信者の人も認めるだろう。結局、私小説的で内省的なアルバムで、自身がステージから失踪した事実をさらけ出した「ミスターOのバラッド」以降、様々な意匠のアルバムをミュージシャン主導でつくっている。
途中、英国で会ったキングクリムゾンのロバートフリップに「日本語ロック」のイミテーション性を指摘されて、えんやーとっとに転じたが、2つ前のアルバム「風詩」で聴く限り、動的な響きが貧弱で、これでは、上々颱風、遠藤賢次のワッショイ、エンヤートットにはとても達していないと思った。
ご本人には耳が痛いだろうが、近年のボブ・ディランの大復活と比べると、岡林氏には伝えたい実体的なメッセージがすでに長く不在なように聴こえる。類型的な歌詞の焼き直しが多いからだ。
一昨年ごろ、週刊文春の阿川佐和子の対談にでて、
レコードを出すと、熱心な信者がお布施として買ってくれる。それで生活している。お客様は神様だ。と発言していて、大いに失望した。
一時期、岡林氏は有数のシンガーソングライターだった。メロディメーカーとしてもう少し一般的評価されてよい。(美空ひばりに評価されて十分だろうが)
しかし、現在は、過去の遺産で生きているタイプの人だと思う。
永遠にフォークし、ロックし続けるエンケンこと遠藤賢次が天才だとすれば、残念ながら岡林氏が天才であった時期は短く、反響におそれ、自ら退いたときから、本当の歌心を模索し続けて、現在に至っている。と思えてならない。