ロンドンに住んで8年、イギリスのTVドキュメンタリーなどで紹介される日本といえば史実を無視した『南京大虐殺』『バターン死の行進』か勘違いと誇張の『ゲイシャ』『援助交際』という状況にはかなりウンザリさせられている。少なからぬ人々が日本と中国を混同しているのにも驚く。だから最初は『あんまり変なところばかり取り上げないでね』と祈るような気持ちで観たが、コッポラ女史の素直な日本観の表現には好感が持てた。
東京には12年住んでいたが、ここ十年あまり、数年前のたった数日の観光滞在をのぞいて完全に浦島太郎状態。トーキョー・モダンライフのサイケでPOPなノリには、半分懐かしさを覚えながら半分主人公たちと一緒に『目が点』になってしまった。同様に、ゴルフコースで富士山に向かって打つところや角隠し・白無垢姿の花嫁さんが花婿や両親らと歩いてゆく姿に代表される『日本の美しさ』にも、素直に感動して涙があふれそうになった。
主人公たちはこの奇妙でうつくしい異国体験と戸惑いを『愛する人』と共有したい、と願ったに違いないのだが、あいにく彼らはそれぞれの理由で忙しく、あっさりパスしてしまう。愛を見失った、というのではないけれど、なにか曖昧な部分でそれぞれのパートナーとのあいだにズレを感じた二人の主人公たちが、そのぽっかりあいた隙間にフィットするお互いを見出す。
「単なる知り合い以上不倫未満」という微妙な関係が、あらゆるものに両極端と曖昧さが交錯する日本という文化装置の中でなにかとても美しいものに熟成されてゆく・・・。
言葉と習慣の違いに途方にくれながらも無言の情愛のうつくしさ・せつなさを主人公たちに「なんとなく」感じさせるのに、「もののあはれ」が土地に沁み込んだ日本という国の空気が一役も二役も果たした、と思う。
外国にいて外国人として独りこの映画を観ながら、日本人として「日本人のように」考え感じている自分を再発見した。