見終わった後に悲しみが残り、少し考えさせられる映画だ。
主人公のフランクとエイプリルが出会った当時、彼らは自分達の無限の可能性を信じていた。
それから7年、二人は郊外で家を手にいれ、フランクは大企業のサラリーマンとして、エイプリルは二人の子供を育てる主婦として暮らし ていた。傍目には50年代アメリカの幸福な夫婦である。
しかし、多くの人が現状に満足していた当時のアメリカで、二人は平凡な日常に満足しない、もっと"革新的な人生"を求める人間であっ た。
自分の父親と同じ会社で働くことを自嘲的に話すフランク。エイプリルも生き甲斐のある人生を欲している。
フランクは映画の前半で30歳になる。30歳と言えば、そろそろ現実に折り合いをつける年頃であろう。誰もが経験する通過儀礼を描く ドラマなのかな?と、この時点では予想した。
この後、エイプリルが「パリに移り住む。」という突拍子もない提案をフランクにする。「国際機関の秘書の給料はすごくいい。自分が働 くから、フランクは自分のやりたい事を探せばよい。」という提案だ。当初は否定的だったフランクも、次第に乗り気になってくる。有 頂天の二人は周りの冷静な反応をよそに計画を進める。
しかし、ある事をきっかけに計画は頓挫する。これを機に似た者同士に見えた二人の違いがあぶり出される。フランクは少し現実的であ り、そのことが二人の間の亀裂を進展させた。エイプリルは「フランクの自分探しを助ける。」のではなく「フランクを養ってでも自分自身の人生を生きたかった。」のだ。
映画を見終わって、エイプリルの切実な願いは、彼女の個性によるものなのか?時代のせいか?女性だからなのか?と考えさせられた。原作が出版された1961年は、ウーマン・リブ前夜である。エイプリルの願いは、まだ革新的すぎたのだろうか。
彼女の願いは、現在のアメリカでも共感を得たのだろうか?
日本の女性はどう思うのだろうか?