この作品が伝えることに何ら答えはなく、観るものの視点により、幾通りにも膨らみ抱く形であり、夫婦間のあり方、家庭の持ち方というもの、強いては人生というところを問うたテーマです。
薄氷を踏むがごとく、地球そのものが薄い層で覆われているがごとく、また生活空間というものが自由であるにもかかわらず、何らかの形で範囲が限られた閉塞空間であるがごとく、拘束された中で生活していることは現実かもしれません。
この映画では、結婚前の夢が家庭を持ったことで、特別な存在を理解しあえるもの同士が、生活条件に則った”平凡”という生活に満足できなくなる、夫は郊外より満員電車で通勤し仕事をこなし、妻は郊外の住まいで家事をこなすといったことにたまらなくなったのです。
もっと輝いてもいいのではないか、もっと夢があっていいのではないか。
そう思うにつれ、夢と現実にギャップができ、ギャップはだんだんと夫婦間に溝をこしらえ、あれだけ愛おしかったのに”マンネリ”にしか思わなくなり、悲劇として返ってくるというストーリーなのです。
この映画の素晴らしいところは、マンネリから脱皮し夢を抱いて心機一転しようとしているところに、様々な事象や事案が発生し、その時点でのこころの葛藤をうまく表現しているところです。
現在では直ぐに離婚しておさらばしてしまうといった逃げがあるのですが、大量生産の高度経済成長時期であった1950年代という設定においては、社会に追いつくためにきもちにゆとりがない反面で、そのジレンマに思い悩むという点で最も表現しやすかったのではないかと思います。
レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットのコンビですが、二人の呼吸がぴったりと合っており、また、1950年代といった往時にも相応しい容姿を醸し出しており、この映画のコンテンツをよく咀嚼して理解した上での熱演であったと思います。