技術とは,それを持っている人が,それを持っていない人に対して優位に立つことのできるものです。だからこそ,それは,企業「秘密」とか,門外不出の「秘術」として一部の人しか享受できなかったし,そうでないとしても,長い時間をかけた研鑽の末に獲得できるものであるため,「素人には手が届かず,専門家だけが享受できるもの」でした。レトリックも,それが,「説得の技術」とされる限りにおいては,それをマスターした人が,それをマスターしていない人よりも優位に立ち,相手をやり込めるための技術であると考えられてきました。
本書は,そのような常識を打ち破り,レトリックは,その気になれば,誰もが,短期間で習得できる「開かれた技術」であり,しかも,その技術をマスターした者同士のコミュニケーションこそが,新しい「発想」を得たり,議論を通じて誰もが「納得」のいく結論を導くことができるものであることを明らかにしています。その意味で,本書は,「修辞学」として「文彩」に特化してきた従来のレトリックを,アリストテレスの原点に立ち返り,「説得の技術」として復活させた
ペレルマン『説得の論理学』の流れをくむ,新しいレトリックに関する第一級の入門書であるといえます。
本書の特色は,「新しいレトリック」の全体像をバランスよく解説しているだけでなく,レトリックの効用を,教育の観点から,次のように明らかにしている点にあります。
人文・社会科学であれ,自然科学であれ,一方で,「あらゆる教育の本質は,教育に固有のレトリックを生徒に教えること,換言すれば,教師なしで独習できることを可能にする概念枠組みを,生徒に与えること」であり,他方で,「本当の生徒とは,いつまでも生徒のままでいることを潔しとしない生徒」(154頁)なのであるから,「プロパガンダとか洗脳などに陥らない真の教育とは,それ自身のレトリックを教える教育,つまり,教育のために用いるさまざまな方法自体を教え,生徒をこれらの方法の運用に熟達させる教育である」ことを明らかにした上で,「レトリックによる権力の濫用を抑える真の方法は,レトリックを教えることだ」(155頁)という結論を導き出しています。
このように,レトリックが,市民にとって「権力の濫用を防止する技術」であることを明らかにしている点こそが,本書の真骨頂といえるでしょう。
専門化・分業化が進む現在においては,素人は,何をするにも,専門家の知識に頼らざるを得ません。しかし,すべてのことを専門家に頼ると,専門家の暴走に歯止めがかけれなくなります。専門知識のない素人が,専門家と協働して意思決定を進めていかざるを得ない現代においては,素人が,レトリックをマスターし,専門家の暴走に歯止めをかけつつ,専門家と協働して意思決定を行っていくほかに方法はないのです。
的確でレベルの高い豊富な例を挙げて,短期間で新しいレトリックの考え方が理解できるように,その全体像を明らかにしてくれる本書は,情報化,専門化が進展する現代を生き抜くための一般教養書として,すべての市民に推薦できる一冊だと思います。