試合を前にした1人のボクサーが、気持ちを高めようとしているのか、リング上でしきりに体を動かしている。リングを包む深い霧は、そこを取り囲んでいるはずの大勢の観客の姿を隠してしまい、最前列に陣取るカメラを持った記者たちの姿がかろうじて見える程度だ。どちらにしろリング上には男が1人だけ、いる。これは、実在のボクサー・ジェイク・ラモッタの自伝小説を基に作られたという本作の冒頭のシーンだ。そして、本作の‘すべて’を象徴するかのような至極のシーンでもある。‘すべて’とは、「ボクサーとしての栄光」それに「周囲が見えないことの恐怖」の、たった2つだ。
本作「レイジング・ブル」は世界ミドル級チャンピオンにもなったジェイク・ラモッタの栄光に固執することなく、むしろその逆にある至福とは言い難い彼の私生活に肉薄し、残酷なほど描ききる。その痛ましさに観ているこっちは、殴り殴られ最後にはガッツポーズをとっているリング上のラモッタにまで疑問を抱いてしまう。「彼は勝利を手にした今、この瞬間、幸せなのか?」さらには「なぜ彼はボクシングを続けるのか?」という、彼の人生の根本に及ぶまで、解からなくなってしまう。簡単に答えは出せない。というのも私生活の彼は目も当てられないくらいえげつないのだけど、リング上での彼は決してダウンを喫しない誇り高きヒーローなのだ。だから、かの「タクシー・ドライバー」に勝るとも劣らない、1人の男の“生”への大きな、しかも戦慄の‘?’が残った。
けれど、この原作をラモッタ自身が書いたということは、少なくとも本人の中で、ある程度の答えは出ているのだろう。自身の“生”を‘是’としたのか‘非’としたのか定かではない。“霧”の中にいる僕たちは、その向こう側で、かろうじて視界に入る1人の男を前に、ただ震えることしか出来ないのだ。