ある程度の歳をとると、あの頃にかえりたいと誰でも思う。
優しい母がいて、父は健康で、「今日の夕飯なに?」とか訊くのが日課だったり、与えられる愛の大きさにまだ気づかずにいる「あの頃」。
そしてあの頃を自分の記憶を頼りに想起し、懐かしい思い出に浸ることもある。
大きくなった数字にルートをつけるみたいに。
だけどそれは本当にあった世界とは微妙に異なるが、完全に違う世界というわけではない。
人間の記憶は不完全だし、ときにはそこに願望が生じる。
あの友だちと仲直りしておけば良かったとか、ありがとうと言っておけばよかったとか、あの人がもし生きていたらとか。
そして、あのときと同じ振る舞いをすればあの素晴らしい日々に帰れるんじゃないかという幻想を抱いたりすることもある。
懐かしいあの土地に帰れば全てが元通りになるんじゃないかと幻想を抱く。
でももちろんそうはならない。
死者は心の中だけで生き続ける。
これは私の想像だが、この姉弟の両親は死にかけているんじゃないだろうか。
だからこそ、弟が最後に
「二人でこの世界にきたことには理由がある」
と言うのではないか?
テレホンカードの度数は「親と子が共に生きることのできる時間」のメタファーなのではないか?
テレホンカードの度数はたいがい50だし、親子がともにできる時間はたいがい50年くらいなものだろう。
最後に電話をするとき、天高く昇っていく飛行機雲が映し出される。
そこには死のイメージがどうしてもつきまとう。
人はいずれ親を亡くすし、その世界で生き残らなければならない。
平然と、生き抜かなければならない。
母が娘に手渡す傘は、その苦しみを乗り越えるための愛であり、大海原にぽつんと浮かんだ浮き輪なのだと思う。
そして、雨は必ずいつか降るのだ。