世界は広く、世界を受け止める私たちの価値観も多様だ。
私たちが聴き慣れているそんな言葉は、「結局人それぞれ」と他者への無関心を隠蔽する論理にもなる。
世界は多様すぎて、一々関心を持っていられてない、というのが文明国日本人の本音だ。
それでも著者はいつまでも世界の「最貧困」の現場へ向かう。
その動機がどこにあるのかはわからないが、タフな行動力と繊細さを併せもち、明瞭な日本語でその現場を私たちに伝える人物がいることに感謝し、著者の活動を応援したい。
ムンバイの売春宿で働く女の子から、著者はこんな言葉を聞く
「ストリートチルドレンとして生きていたら、一生そのままだったと思う。けど、こうやって売春宿で働かせてもらえれば、言葉をちゃんと理解できるようになれる。そうすれば、どこへでも行けるし、別の仕事だってやれる。何も知らずに路上でゴミを拾っているよりはずっと良かったと思ってる」
著者の本はいつも、読めば読むほどどうしようもない気がする。絶対的な貧困が堅牢な構造のなかで再生産されていることがわかる。
では私たちは無力なのか。無力であれば知らないほうが幸せなのか。
著者は「彼らを助けろ」と声高に主張しようとはしない。助けることの困難さを知っていることもあるだろうが、それ以上に彼らがどう暮らし、彼らの喜怒哀楽が奈辺にあるのか、彼らにとっての幸せや成長がどのようなものなのか知らずに「助ける」と主張する傲慢さを知っているからだろう。
貧困とはなにか。人を助けるとはどういうことか。彼らと私たちを隔てる国や地域とは何か。
これほどの格差を見て、私たちの幸せとは何か。
貧困であろうが裕福であろうが、誰もが生きていくしかない。ならば生きていくとはどういうことか。
著者はいつも私たちの足元に問題を投げかける。考えることをやめてはならない。