晩年、心の危機を乗り越えたリルケは、「オルフォイスへのソネット」を書く。これは詩人としての決意表明であって、本物の真剣さを獲得した彼は、聴衆に向かって呼びかける。「池に映ったもののすがたが、しばしば我らから消えようと、その姿をば忘れるな」。心で見た姿こそが、真の姿なのだ。水面が揺れると、映し出された像は歪み、波に呑まれる。それと同様に、心の状態が変化すると、心で捉えていたはずのものはたちまち見えなくなる。だが、忘れるな、「それ」はあるのだ。この戒めを、リルケ自身、堅く護りとおしたに違いない。最晩年の作は全く卓絶している。「背伸びをした巨人の夏は 既に感じている 老いた胡桃の樹の中で その青春の衝動を」「一晩中 ナイチンゲールは歌っている 彼らの感情の恍惚と それから 冷ややかな星に立ちまさる 彼らの優越とを」。これらを「擬人法」と読むのは単なる見当違いであろう。リルケは自然の内部に入り込んで歌っているので、どこまでが彼自身の感情で、どこまでが「自然」それ自体の感情なのか、区別できないほどだ。グルジェフの言う、客観的感情、これらの詩篇はまさにそれを達成しているのだ。本書もまた、万人にお奨めできる。(特に科学者は絶対に読まねばならない。)富士川英郎氏からの、そして新潮社とリルケからの、言葉の贈り物だ。