学生が日々成長していくように、その成長をサポートする教師自身もまた成長していくものである。だがその成長とは、経験を重ねるだけで得られるものではなく、自己を振り返る内省作業と、それをもとに新たな実践を繰り返す「内省的実践家」となることで、初めて遂げられる。本書の7つの論考は、この内省を軸に、教師の成長をめざした実践とその手法が厚みのある記述で詳細に描かれ、内省的実践家となるための道標ともなっている。
本書を読む現場の教師たちは、心にざわめきを感じる箇所が必ずやあるはずだ。例えば、玉井論文にこんなエピソード(p.131)がある。英語の授業中、長文の訳を答えるよう指名された学生が返答できず、予習をしなかったのだろうと、職員室に呼び、ノートを確認したところ、丁寧に予習はされているものの、日本語として意味のとおらない訳となっていることを発見し、こんな訳では恥ずかしくて皆の前で発表できるはずがない、自分の与えた課題の難易度は適切だったのか、と痛感させられたというものである。多くの学生を一度に相手にする教師にとって、すべての学生を把握し、理解することは難しい。自分なりに内省はしても、教室では依然見落としていることが多々あるはずだ。その結果は、意図せず学生を傷つけてしまうことにも繋がりかねない。ではどうすれば少しでも見落としを減らし、自身で気づけるようになるのか。そのための一つの手法として、横溝論文で提唱されている協働型アクション・リサーチ(p.107)のうち、他者に授業を観察してもらいながら内省するというものがある。観察者は教室内で起きていることを伝え、教師が気づけない部分の情報を提供する。教師がそこで得たことは、自分の教室や学生をより多面的に見る上で役立つだろう。横溝はフィードバックの際のポイントとして、教師や授業が良かったか悪かったか判断を下すのではなく、情報提供に徹し、「非批評的な対話」をすることを挙げている。この「非批評的な対話」によって、教師本人の内省は深まっていくのである。本書すべての論文を読んで気づくのは、著者たちが読者に対し、非批評的な語りかけをしてくれているということである。そのため、すべての語りが、読む側の心に、すっと入ってくる。
本書は、教師教育に携わるベテラン教師をはじめ、中堅、新米、または教員を志す学生と、どの段階の教師が読んでも、得るものは大きいだろう。タイトルから、日本の英語教師を対象に書かれたものと推察されるが、アメリカの大学で日本語教育に携わる私にとっても、本書の豊富な例や解説は、具体的な実践を始める上でのリソースとなり、参考になった。また、語学に限らず、どの分野の教師にとっても、さらには、教師のみならず、企業で人材育成に携わる者、子どもを育てる親、およそ人を育てる立場にあるすべての者にとって、「内省」とはよりよい支援者となる上で不可欠なものである以上、本書は成長に向けた一歩を踏み出すためのきっかけを与えてくれるに違いない。
「リフレクション」によって気づき、「語り」によって言語化することで解決の糸口が見え、「実践」に移すことによって教師の成長が実現する。本書に登場する教師が、支援者であるメンターに相談する際、「メンターとの会話を通して自分と対話している」(p.186)と述べているが、この本を手にとるすべての読者にとって、本書はメンター的役割を担いながら、その成長に向けたサイクルを促してくれる。本書を読みながら、読者は著者と対話をしているような、そして同時に自分自身とも対話をしているような気持ちになるのではないだろうか。教師以外皆学生という教室という場にあっては、教師は常に孤軍奮闘し、試行錯誤を繰り返す。そんな教室という場での日々の格闘を終え、ふと1人授業を振り返り、さらなる実践に向けて悩み、迷うとき、本書はその歩みに寄り添い、そっと後押ししてくれるだろう。本書はそんなあたたかさに満ちた本である。読者たちは、本書というあたたかいサポーターを得て、これからどんな語りを始めていくのだろうか。本書を通じて内省的実践家としての歩みを始めた者たちの語りの輪が、今後大きく大きく広がっていくことを期待したい。