かなり大衆向け路線から外れた映画だ、多分かなり読み込まないと理解できない難解な映画かもしれない。
演者たち、特に主人公のティム・ロス扮する殺し屋ジョシュアはほとんど無表情に近い顔しかせず、唯一見せるのは冷酷さと怒りだけ。
しかし逆にその抑制の効いた演技は見るものにジュシュアの内面の葛藤を暗示させ物語に深みを齎している。
時折理解者である母と弟、昔の恋人に見せる微妙で曖昧な表情は一瞬だけ昔の、殺し屋のジョシュアではなく何者でもないジョシュアだった頃を垣間見せられる。
ジェームズ・グレイの全作品を通じて語られるのは「家族」であると思う。
この「リトルオデッサ」は特に父と子、という家族間の問題でも一番取りざたされるテーマだ。
そして例によってこの物語では父と子はほとんど修復不可能と言っても過言じゃないほどの亀裂が生じている。
マクシミリアン・シェルが「小さい時はまだいい、だが16になると父親を馬鹿扱いし、24ともなれば見向きもしない」と愚痴るシーンがとても印象に残る。
理想だけでは家族は語れない、優しく掴めば逃げ出し、きつく掴めば言う事を聞かなくなる。
何処で何を間違えたのか、それすらも分からなくなればもう家族ではいられなくなる。
掛け違えたボタンは家族を非情な結末へと誘う。
もしかしたら難解な映画なのかもしれない、人によってはただ退屈としか感じないかもしれない。
しかしその分、この映画には内に秘めたメッセージと無言のストーリーが詰まっている。