どうしてこういう編集になってしまったのか?
98/99年にかけて、径書房から「スイングジャーナル青春録」の[大阪編][東京編]として、二冊に分けて刊行されたものを文庫化したものだが、エピソードが半分以上削られたり、短縮されていたりする。
これでは、二枚組LPを、どうせ売れないからって、何曲かをcutして1枚のCDで再発したようなもの。まったくもって失礼な話ではないか。
著者の前書き/後書きもないし、他人の解説も無い。誰が何の目的で圧縮したのか、わからずじまいだ。もしかしたら筆が走り過ぎ、ちょっとやばめの表現でもあったのかと、ざっと読み比べてみたが、私には判りません。
そもそも、原著の最大の魅力は、広瀬正の「エロス」にも通じる、マニアックなディテールへのこだわり、それも同時代の何とも言えないぬくもりを残したままの、その記述の視点なのである。
とくにスイングジャーナルに入社する以前、十代から二十代初めにかけての、さまざま雑多な思い出。
John McLaughlinの名前の読み方はどうだとか、ウエザーリポートは5人編成なのに、ファーストアルバムではもう一人パーカッションが聞こえるとか、はたまた、ヘッドホンのコードが1.5メートルしか無くて、動き回っているうちにアンプから抜けてしまい、大音響が響き渡ったとか...八十年代前半までのjazz/rock青少年が多かれ少なかれ経験してきたことを、青春の甘酸っぱさ、ほろ苦さで語ってくれる。女性とのロマンスはほとんどないが、恋愛だけが青春の熱き思い出になるとは限らない。まさに、「音楽が総てだった」そんな青春もあったんだよと、似たような元jazz/rock青少年の音楽好き中年(私のような)が思わず熱くなってしまう...そんなところが、原書のツボだった筈だ。
それがブンコになって、確かに剪定され、軽快に読みやすくはなった。しかし、これは違うだろう。中山康樹が伝えたかったことが、ぼろぼろと握った指の間からこぼれていくようだ。
いますぐ版を改めて、原著通りにノーカットで再文庫化を! と言いたいところだが、もう原著を求めてしまったので、それはまたそれで、損をしたような感じで困りますナ...