アメリカが戦勝に浸っていた'50年代、放射能で何でもかんでも巨大化する映画が乱作された。
そして'60〜'70年代は冷戦構造を背景に、核戦争の脅威をテーマにした映画が数多く作られた。
そんな中でも、ひときわシュールな異彩を放つのが本作『リチャード・レスターの不思議な世界』('69)だ。なぜって、この映画では放射能の影響で人間がタンスや犬になってしまうのだから!
第三次世界大戦が勃発し、わずか2分28秒で終戦。それから3年か4年ほど経った世界。イギリスは壊滅状態、ロンドンは跡形もない瓦礫の山と化し、そこには生き残った20人ほどの人々が暮らしていた・・・。
たった一人が漕ぐ自転車の人力発電でまかなわれている国の電力。唯一動いている交通機関の地下鉄を住居にしている家族。一人娘のペネロープ(リタ・トゥシンハム)は妊娠中。しかし、彼女の母(モナ・ウォッシュバーン)は放射能の影響でタンスに変異しつつあった。
放送局は消滅し、BBCのアナウンサー(フランク・ソーントン)は巡回しながら、荒野の真ん中に置かれたテレビの枠の中に上半身を突っ込んでニュースを生読みする。最後の貴族フォートナム卿(ラルフ・リチャードソン)は、錆だらけでボロボロになったロールスロイスを馬に曳かせ、医者(マイケル・ホーダーン)のもとにやってくる。フォートナム卿もまた、自分が「部屋」に変異しつつある事を感じ、慄いていた。
警察官(ピーター・クック&ダドリー・ムーア)は気球に吊ったオンボロパトカーから地上を監視し、ひしゃげたメガホンで人々を叱咤する。行けども行けどもガラクタの山と、汚染で変色した大地・・・。そんな舞台で、奇妙な人々が繰り広げる不条理なコントが延々と続けられる。
原作は、映画でも郵便配達夫の役で登場するスパイク・ミリガンと、ジョン・アントロバスによる戯曲。スパイク・ミリガンは'50年代にピーター・セラーズと組んで「ザ・グーン・ショウ」というラジオのコメディ番組をヒットさせ、モンティ・パイソンに先駆けて不条理ギャグをイギリスで確立したと言われる人物。
この映画を観ていて戸惑うのは、シュールすぎて何が起こっているのかがよく判らないことだ(苦笑)。建物はどこにもなく、真っ白く変色した荒野にボロボロのソファーや、枠だけのドアが置かれ、来訪者はわざわざ枠だけのドアをノックして訪問する。戦闘機のキャノピーを組み合わせて、エスキモーの住居(イグルー)のようなシュールな家に住んでいるのは、マーティ・フェルドマン演じる看護士だ。相談に訪れたフォートナム卿が「所見を聞きたい」と聞くと、「レンガの目地を塗りなおすべきです。セメントでアパートに改装しましょう」と言って顔にセメントを塗り始める。とにかく意味不明のギャグをひたすら羅列していくだけで、ストーリーらしきものがない。
「ビートルズを撮った男 リチャード・レスター」(アンドリュー・ユール著)によると、「この作品のブラックコメディ的な要素の大部分は、生存者たちが何事も起こっていないかのように振る舞う事から生まれてくる」とあるが、町山智浩氏も「トラウマ映画館」の中でこう解釈している ― 「世界が滅んでしまったというのに何事もなかったように日常ごっこを続け、国家ごっこを続ける人々」と。つまり本作の本質は、風刺劇なのだが、この映画を難解(?)にしているのは、登場人物たちが放射能汚染で次々と変異していく事だ。フォートナム卿は映画の前半で早々と「部屋」になってしまい、ペネロープの母も「タンス」になってしまう。ペネロープから生まれた赤ん坊は「カバン」だ。これが一体何を暗示しているのかが全く不明(笑)。なぜなら、お次はペネロープの父が「オウム」に、巡査は「犬」と、今度は動物になってしまうのだ!
非常に奇天烈な表現にはなっているが、本作は環境問題もテーマとして内包しているのは間違いがない。この映画を観ていると、とにかく強烈なビジュアルのパワーに圧倒される。
錆び付いた廃車の群れ、うず高く積まれた靴の山、白や青の陶器の破片がどこまでも続く荒廃した風景。汚染されて白や青などの色に変色した大地や水辺・・・。瓦礫やクズ鉄などは調達できるものだからいいとしても、大地や河川などをこんな塗料で染めてしまっていいのか!?というかこれだけの範囲をどうやって変色させたのだろう?と驚いてしまうのだが、実はこれは実際に汚染された土地でロケをしているのだ。
監督のリチャード・レスター以下のスタッフたちは、自分たちが探しているロケーションがあまりにも簡単に見つかった事が、恐ろしかったという。ウェールズ南部のスウォンジーという町では、工場排水に混じった化学薬品が湖や樹木を死に至らしめていて、中部工業地帯のストークオントレントでは、陶器の破片が4分の1マイルにもわたって散らばり(この陶器の山を一家が歩いて行くシーンが確かにある)、イングランド南西部のコーンウォールには、土を掘り起こした跡が延々と続いていたという。この映画に関わったスタッフとキャストは、文明の発展の影に隠された暗部を目の当たりにし、愕然とする事になる。そして、出演者は汚染された泥の中で撮影した後すぐにホースで水をかけ身体を洗浄するという、もの凄い撮影が行われたらしい。
こうして、他に類を見ないような強烈なビジュアルインパクトがある映画となったのだが、しかし・・・。と思ってしまうのだ。「傑作だ!」と大手を振って叫べない何かがある。放射能による汚染、それでも日常ごっこを繰り返す人々・・・痛烈に風刺が効いているように思えるのだが、なぜか伝わってくるものがないのだ。それは多分に、ストーリーがほとんどなく、不条理ギャグが羅列されているだけのメリハリのない構成も関係しているのだろうが、ラスト、唐突にハッピーエンドが訪れるのにも面食らってしまう。
「じゃあ、結局何が言いたかったのだ?」と。
リチャード・レスターという才能ある監督の、迸る才気とイマジネーションは感じるのだが、それがコントロールできずに作品としてまとまっていない・・・そんな印象を受けるのだ。
本作を巡る評価はまさに賛否両論で、ベルリン映画祭ではガンジー平和賞を受賞。しかしアメリカのマスコミは、「グーン・ショウのクズだけを集めた、のろのろして中身のない作品」「この作品の混沌には呆然とするばかり」「戦後世代の安っぽい道化劇」と酷評。一方、イギリスでは「堅実なフィルムメイカーのアイディアながらうまく実を結ばなかった」「名誉ある失敗」と、厳しい中にも好意的な解釈が多かった。もちろん、中には「リチャード・レスターの頂点」と絶賛する声もあり、'80年代に、イギリスの批評家20人によるイギリス映画オールタイム・ベストが選ばれた時、3人が本作を挙げたという。
だが何よりも、本作はUAの幹部に嫌われてしまったのが悲劇だった。
「このくだらんのが、いつまで続くんだね?」(試写の最中のコメント)
結局、『リチャード・レスターの不思議な世界』はヒットすることなく、本作のあとUAでレスターが進めていた企画は次々とオクラ入り。次作『三銃士』までの5年間、レスターは干されて映画を撮ることができず、CMなどの仕事でしのぎを削ることになってしまった。
レスターは、完全主義者として知られ、考証や美術の「汚し」などの細部に異常にこだわる一方で、病的なまでの「貧乏症」でもあった。スケジュール通りに撮影を進めなければ気が気でなくなる性格で、早撮りの監督として業界では知られていて、制作費も絶対に超過させないことで有名だった。
少年時代を大恐慌の中で過ごしたレスターは、母から倹約を厳しくしつけられ、そのせいで無駄ができない脅迫観念が染みついてしまい、映画の製作が思うように進まない時に、思い切って「仕切り直す」決断ができずに、強引に進めてしまうところがあった。この性格が災いして失敗作になってしまったのが『さらばキューバ』なのだが、本作でも、物語の落としどころとして「あともう一歩」という粘りがたりなかった、そんなような印象を受けるのだ。
とはいえ、筆者は本作を「駄作」とは呼びたくない。傑作とは呼べないかもしれないが、これは怪作、珍作、迷作・・・そして何よりも「カルト作」であることは間違いない。この作品を面白いと思うか思わないかは、好みではっきりと分かれてしまうと思う。それでもこの作品に興味をお持ちの方は、ぜひ一見してほしいと思う。それだけのインパクトは、間違いなくある作品だ。
画質は特に問題なかったが、もっと気軽に手を出せるようなリーズナブルな価格にして頂きたい・・・それがこの映画の普及にも役立つのだから、と思うのだ。