太平洋戦争末期、神戸に住む女学生の水原真澄は、時局の厳しさを横目で見ながら、友人たちと青春を謳歌していた。真澄には、結城修一というほのかな恋心を抱いている少年がいる。幼い記憶にある、30数年に1度しか見られないという獅子座流星群をいつかふたりで眺めてみたいと真澄は心に期していたが、度重なる戦火がふたりを引き裂いてしまう。やがて終戦を迎え、東京オリンピック開催が近づく昭和30年代前半。小学5年生の村上和彦は、自前で小学生に絵本や児童書を貸し与える女性と知り合う。彼女こそは水原真澄だった。折りしも獅子座流星群の到来まで、あと4年と迫っていた…。
本書は、愛し合う男女がいかにしてそれぞれの想いを伝えあうかを巡る物語である。獅子座流星群の訪れを挟んで、幾たびも交錯するふたつの生命を、時間は長い長い年月をかけて見守り育んでいくのである。
最後にでてくる、「我々は死んだりしない」という言葉の奥深さに、きっと胸を締めつけられるに違いない。(文月 達) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
「また、会えたね」。昭和二十年五月、神戸。疎開を前に夢中で訪ねたわたしを、あの人は黄金色の入り日のなかで、穏やかに見つめてこういいました。六年半前、あの人が選んだ言葉で通った心。以来、遠く近く求めあってきた魂。だけど、その翌日こそ二人の苛酷な運命の始まりの日だった→←流れる二つの《時》は巡り合い、もつれ合って、個の哀しみを超え、生命と生命を繋ぎ、奇跡を、呼ぶ。
登録情報
|
「スキップ」・「ターン」に続く、「時と人」シリーズの完結編であるが、前2作との関連性はなく、この作品から読み始めても問題ない。
とはいえ、多くの読者が、前2作に感動してこの本を手にすることと思う。この場合、前2作と毛色が違う作品なので注意が必要である。この作品は、読者の忍耐力が試される小説で、緩やかに作品中の時が流れ、とにかく山場が来るのが遅い。私のようにテンポの速い小説を好む読者にとっては、睡魔に襲われ、何度も挫折しそうになる。私のような読者も、「本貸しのおばさん」が出てくるまでの作品の2/3を我慢してもらいたい。(第2部第2章5)後は、本を置くことができなくなるだろう。
忍耐力を擁する読者のみが、ホッとするような、心を安らかにしてくれるような、充足感を得られる作品である。
とにかく、我慢すべし!
「時」は無情にも、全てを奪って行きます。
「戦争」という背景のもとに。
でも「想いは、時を超える」、「希いはきっと、かなえられる・・・」
その名のもとに、美しい物語でした。
運命というものが、時間というものが、
人を引き裂こうとしても、
想い続ける力をくれます。
相変わらず読後感は「スキップ」「ターン」同様、
爽やかで心に染みてきます。
読んで良かった、そう思えました。
北村薫は「日常」を大切にする作家である。ところがこの作品に至っては、それは大切にするどころではない。「歴史」に向かって、「運命」に向かって、まさに闘い勝ち取ろうとしている。「目の前に定規で平行線を引いたように、黒い電線が見えます。その向こうに、家々の屋根が広がっています。甍の列は、すでにはっきり形を見せてはいますが、昼間よりはまだ色合いが薄く、白黒映画めいて見えます。その間に、消えるにはまだ少し間のある街灯が、遠く近く色を点じています。」北村薫はこのような早朝の何でもない「日常」をなんとしてでも守ろうとしている。そのためにはどんな「奇跡」でも起して見せる。その意気込みは悲愴ですらある。
「琢木カルタ」の「かの時に言ひそびれたる/大切な言葉は今も/胸にのこれど」という歌が重要な言葉として出てくる。私も「大切な言葉」を幾つか胸に反芻してみた。
|
この商品のクチコミ一覧
クチコミを検索
|
関連するクチコミ一覧
|
|
|
|