映画黎明期からの巨匠、ハワード・ホークス監督の遺作です。作られたのが1970年であるということに驚嘆します。古き良き西部劇はマカロニ・ウェスタンの登場によってズタボロになり、ホークス自身ニューシネマによって過去の人となってしまいました。作品中、女性の裸があって、またその顔が切り刻まれて、「えっ、ホークスが!」と思ったのですが、その描写が当たり前だった時代趨勢故です。それでも彼は撮ったのです。J.ウェインも演ったのです。
確かに『ワイルドバンチ』や『明日に向かって撃て!』の様な壮絶な西部劇が作られたこの時期にあって、『リオ・ロボ』は少し懐古趣味な感じもします。J.ウェインもかつてのような軽快なアクションは出来ません。そして「安心なの」と言われて苦笑するJ.ウェインは、きっとかつてはプレイボーイだったホークス自身の投影でしょう。
しかし南北戦争の敵同士だった若い世代と共感し、一肌脱ぐ展開は当時のホークスのおかれていた状況と一致します。そもそもニューシネマ世代はホークスのことを尊敬していたそうです。フリードキンがホークスに諭されて『フレンチ・コネクション』を撮ったのは有名ですし、『おかしなおかしな大追跡』は『赤ちゃん教育』のオマージュです。『ジョーズ』の3人は『リオ・ブラボー』の人間関係を踏襲しているとか。そう考えると、この『リオ・ロボ』も彼ら若い世代へのホークスの贈り物のような所があります。冒頭の若い騎兵の死は、もしかしたらヴェトナムで死んだ世代への思いなのかも知れません。そして「自分はもう爺さんだが、若い世代のために何か見せて残しておこう」と共闘するのです。大監督として、見事な晩節だったと私は思います。