まず、「音のためにはますます映像を犠牲にしても良いと思うようになった」というブレッソンの言葉を引用し、その言葉を表面的に受け取ることで『ラルジャン』に低い評価を下している方がいらっしゃいますが、ブレッソンの意図は「表情や仕草などの映像情報をますます犠牲にすることで、これまでの作品よりもさらに音の役割を重視し、登場人物達の内面をより深く描こうと思うようになった」ということであり、単純に「映像<音」という意味ではありません。
付属の解説書に記載されているブレッソンのインタビューでの回答が、自作の意図を、とても解りやすく説明していますので、そこからほんの少しだけ抜粋し紹介します。
「私が求めているのは、描写ではなく事物のヴィジョンなのです」
「私は音を映像にではなく映像を音に慣らします」
「この映画は自分たちとその家族のことしか考えない現代の人々の無意識の無関心に抗って作られた」
「人々にとっても国家にとっても、重要なのはお金だけです。人間や物の価値は今日では、二つの問いに還元されています。その人物は金持ちなのか。それは大金に見合うのか。地下鉄の中で『フランスで最も売れた電子レンジ』というポスターを見て唖然とさせられました。必ず<ベストセラー>という発想がある。最も観客を動員した映画こそ最良の映画。そう、我々はそこまで来たのです。それがお金というものです」
『ラルジャン』の鑑賞には、「考える」こと(「参加する」こと)が求められます。
映画を観るときくらい「現実のことは忘れて何も考えずに楽しい時間を過ごしたい」という方には、おすすめできません。
相手(ブレッソン)の考え方を理解することが出来れば、最高に面白い映画です。