Ramutha とBashar を比較すると、前者は幸福と不幸の生じるメカニズムを(チベット密教的に)説明し、後者はメカニズムよりも幸福が生じる実践方法のみを(ブッダ釈尊的に)説明するという違いがある。二人を含む様々なチャネリングの内容を一言で昔風に表現するならば、「人間世界は、物質界中心からアストラル界中心に移行しつつある」ということである。Bashar風に言うなら、「アストラル界に移行する人間と物質界に止まる人間とに分かれ始め、異なる世界の人間同士は相手が見えなくなる」ということである。
アストラル界の特徴は、思考内容が物質化するというものである。だから、ラムサの教えが思考を強調するわけである。例えば、“神が最も至高な形で現れたものは一体何だろうか。それは思考である。思考とは、すべてのものが創造される物質である。”(p.54)とか、“「在るということ」(思考の結果)≡「崇高なる知性」(思考の原因)”(p.57)と述べている。だからこそ、“あなたの考えることはすべて、あなたの人生でそのままそうなるのだ。不幸を想定すればそれがあなたの手元にやってくる。喜びを想定すればそれがやってくる。あなたが抱く思考、空想などは身体の内部に、ある気持ちを生じさせ、それは魂の内部に記録される。その気持ちが、魂に記録されているのと同じ感情を創り出す状況、それがマッチする状況にあなたを惹きつけていくのである。”(p.76)となる訳である。
ラムサの説明で特徴的なのは、人間の本質を「光」と述べている点である。例えば、“身体は、真の存在=自己を構成している、変動する光でできた最も複雑で高度な電気系統を宿すために作られた。あなたの本当の姿は身体の大きさがあるものではない。実は、ほんの小さな光の点なのだ!”(p.74)
この「光」は、ブッダ釈尊の『Anapanasati-Sutta』(4段階16ステップで呼吸を用いる四念処瞑想の経典)によれば、第1段階の4ステップで全意識を集中する際に現れる「最終ニミッタ(i.e. 光の点)」と対応する。これは釈尊や空海が瞑想で見た「明星」のことでもある。
仏教圏の東洋で西洋のチャネリングを理解するには、こうした理解も活用すべきと思われる。