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内容は、ラカンの『エクリ』に収められている主要な六編(だが、ローマ講演の読解は収められていない)を解説するというもの。多少トリッキィな読解だが、ちゃんとツボは心得えていて、とくに「鏡像段階」の章は秀逸だ。
「どこからはじめるか?」と題されたこの章で彼女は、ラカンの最初の「鏡像段階」についての発表は原稿が残っていないこと。つまり、ラカン読解の起源が失われていることをまず指摘する。しかしラカンが『エクリ』の冒頭においているのはこれに関する論文ではないことから、「鏡像段階」にはラカンがこれから言うであろうことを読み込まなければならないこと、そしてそれが「遡及的な」「予期」であると言う。だがじつはこのことはまさに「鏡像段階」理論でラカンが言わんとしていたことであり、主体が主体として成立するためには、自分を寸断された身体としてではなく、統一された身体として認めるためには、未だ未熟な自分の身体の将来を予期するしかない。しかしそう予期することにおいてはじめて、自分の「寸断された身体」という過去が遡及的に見いだされる。それはじつは作り出された過去であり、主体の高速の思考によって生まれた空白の時間なのだ。主体は過去にも未来にも確固たる事実をもたず、ただ未来完了としてのみ実存する……
このように、彼女の議論が一見些細なことからはじまり、やがては革新的な事柄にそのことをつなげていく手法がなかなか面白い。ラカンを読み切れていない部分もあるが、それでも彼女の微細な視点はいくらか難解なラカン読解の助けにはなるだろう。
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