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最も参考になったカスタマーレビュー
1 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
わかりやすい文章が、考えを誘います。,
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レビュー対象商品: ラカンとポストフェミニズム (ポストモダン・ブックス) (単行本)
ラカンは難解といわれていますが、人間に素直に向き合おうという気にさせてくれる貴重な思想家だと思います。本書は、ラカンの考え方と、フェミニズムの限界を超えていく視点がわかりやすく簡潔に書かれています。・フェミニストは、女性とは何かという固定観念に頼り、本質主義的なジレンマに陥ってしまった。女性性は、男性性のように普遍的な機能としてまとめることはできない。絶対的な女性は存在せず、女性らしさとは、社会が構築した女性性に順応するための隠蔽である。女性を定義してみても、結局、女性が演技しているもの、他者「にとって」どういう役割を持っているか、という問題に引き戻されてしまう。なぜなら、女性が男性以上の主体となるのは、女性が本来の仮装の特徴を帯びているときだけ、女性の特徴が人工的に「装われている」ときだけだからである。 ・私たちは女性を覆い隠しているが、それは私たちが女性を発見できないからである。それは創り出すしかないのだ。仮装は、男性の欲望に対する返答ではなく、男性的な幻想に対する返答である。女性は男性と比べ、より主体である度合いが高いという洞察がある。 ・現実界とは、人間が試行錯誤をする場である。象徴界は反復によって現実界に働きかけるが、決して現実界そのものに代わることはない。 ・ポストフェミニズムは、拡散した不安定な主体というポストモダンの概念がフェミニズムにもたらす問題に取り組み始めたばかりであるが、その答はラカンにある。安定したアイデンティティを全面的に取り除いてしまっては象徴界からの精神病の危機にさらされる脱出を招くだけである。(そこで)ラカンは象徴界との逃れがたい関わりに常に回帰していく。それは、現実界を象徴界の内部に現前させておこうとする主体の試みである。
5つ星のうち 4.0
フェミニズムと精神分析を架橋,
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レビュー対象商品: ラカンとポストフェミニズム (ポストモダン・ブックス) (単行本)
フェミニズムは終わったのか。その問いに対し、著者エリザベス・ライトは二つの解答を提示する。 「ポストフェミニズム」を否定的に捉え「フェミニズム以後」とすれば、それは文言取り終わ ったことになる。しかし、既存のフェミニズムから常に可変的な形態をとるまた一つの運動体 を名指しているのだとすれば、それは未だ存続するのである。そして、その可変の可能性とし て著者は、ラカン派精神分析との接ぎ木というオルタナティブを提示する。 ここで再び強調するまでもなく、元来「精神分析」はフェミニズムのまったきの宿敵であった。 たしかに、男根中心主義と謳われたその思想がフェミ・ニズムの水と合うはずがない。だが 著者は、脱・主体の概念としての建設的な読みを持ってラカンとその思想をその批判から救 い 出す。 著者は、ラカンが性別化についてペニスではなくファルスで、生物学的差異ではなく構造主義 言語学によって説明する点に着目する。ラカン派精神分析における「去勢」とは、(男女を問 わず)主体が言葉を獲得した際に失われる欠如を意味するのだ。加え、日本では「女は存在 し ない」となる例の文言など、ラカン派における「男」と「女」とは、生物学的性から自由である ということも解き明かす。 ただ、訳者である竹村による解説でも示されるとおり、グローバルな資本によって新しい搾取 が開始された現代において、ラカン理論は効力を発揮できているというわけではなく、その表 層を上滑りしているという感は否めない。彼女の言う通り、今やフロイトにマルクス、ラカンに アルチュセール、という具合に資本という「関数」を導入する時かもしれない。
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