登録情報
|
難解だから分りにくい=良くない...という意見もあるが、そのような発想はあまりにも単直な結論の出し方だと思う。ラカンは「言語は無意識のように構成されている」という。またその無意識を持て余し、うつ病になったり、精神不安定になるのが人間。それは正に自らのコントロール可能な域を超えた「無意識」の部分によってジレンマが生じたことによって生み出される現象。なぜ人は心を病み、精神不安定に陥ったりするのか?それは、自らのコントロールを超えた無意識と、自己のエゴとのバランスがうまく計れないからだ。そのバランスを計るのは決して容易なことではない。だから人は心を病む。
そして、その一筋縄ではいかない人間の心の扱いにくさは、我々が日々使う「言語の難解さ」と相通ずるものがある。ゆえにラカンは「言葉での表現には限界がある」と語るのだと思う。それは同時に「意識的に自らをコントロールしようとするのには限度がある」ということなのではないか?
そう考えると、ラカンの難解なテキスト、そしてラカン派の難解な思想も意味を持つものであるのだろうから、その難解さを理解しようと試みることにも意義があると思う。
そういった意味で、この本はとてもよい本だった。
もしらせんを閉じさせようとする神経症的な努力がひとの生を辛くしているなら、あるいは操作的で有益とされる知性が塗りつぶすようにして作った世界に疑問をおぼえるなら、ここで描かれた新たなイマジネールを、トポロジカルな改革を一身に引き受ける必要がないでしょうか?
実際いま私のエクリチュールは行間を生み出しながら、行間に支えられてもいます。無意識がランガージュのように構造化されているとき、たしかに「言語は無意識のように構成されている」のかもしれません。自由のための自由連想のごとく、原理的に方法が結果を先取りするものなら、行って帰ってくるためにひとは何らかの空虚に賭けるのです。
著者が精神分析家である以上、副作用とばかりは言えないこの本の副作用は、肩の力が抜け胸の辺りが暖かくなることです。ふわっと投げられてみることをお勧めします。
|
|