監督はこう語る。
「「映画を撮り続ける」という覚悟を形にしたかった。」
と。
なぜ、
映画を撮り続けるという覚悟=音楽映画
となったのだろう?
それならもっと、自分自身を象徴するような作品を撮るべきだったと思う。
他人の歌を借りて、自分の覚悟など表現できるはずがない。
そして…、何故か突然に前野健太とは全く関係のない、自分の身の上話を語り始める監督…。。。
「去年父親死んだし、婆ちゃん死んだし、友達死んだし…」
いろんな人が死んだから、この映画を撮ったらしい。
意味が分からない。
この映画を撮るきっかけの一つとして、「去年が嫌な年だったから、新年に何かやらかしたかった」というのは理解できる。
でも、そんなことは自分の中にとどめておくべきことで、映画内で語るのはナンセンスというか、邪魔なことだ。
松江という監督は、どうも自意識の固まりのような人なので、その自意識がこの映画でも出まくってて、それが邪魔で邪魔で仕方ないのだ!
(勘違いしないでほしいが、僕は自意識を否定している訳ではない。自意識なくして映画なんか撮れない。しかし、この「音楽映画」に監督の自意識など必要ないのだ。この映画においてのメッセージは全て歌の中にあるのだから!!!!!)
この作品に何の疑問も抱かずに手放しで絶賛している批評や感想ばかりを目にするが、それは映画の表面しか見ていないからだ。
もっとちゃんと見れば、ただのカッコつけでしかない松江監督の自意識に嫌気がさすはずなのに…。
皆、なんでもっと深いところまで映画を見ようとしないのか…、、、