発売初日に購入、完全訳でないことに愕然とし、パラパラ読みでレビューしましたが、翻訳版を読み終えたので、レビューし直します。よくて95%訳と書きましたが甘かった。訳されたのは80〜85%。訳も粗く、欧米でベストセラーになり、辛口の批評家からも高評価を得た原作とはもう別物、という印象です。それでも、多分読んだ人は面白く読めたと思いますが、それは原作のできが非常に良いから。キースは、天から曲が降ってくるタイプの天才ですが、その降ってきた曲がどういう曲なのかの分析ができて、さらにそれをウィットに富んだ言葉で語る能力がある。そして、その能力が、楽曲だけでなく、周囲の人々や社会にも発揮されるのですから、面白くないわけがありません。各エピソードの時代的背景とそれに対する考察がきちんと書かれていますので英国・米国の戦後の文化史としても出色。加えて、恐ろしく率直な語り口。そのときに何を考え、どうしたのかが、「今から思うと」という反省抜きに語られます。だからアラン・クラインに対する評価も、薬に対する考え方も、時々刻々と変わり、キースとともに時代を駆け抜けて行くような、圧倒的な臨場感があります。その意味では、回顧録というよりドキュメンタリー。ファンにとっても初耳という話も盛り沢山です。
翻って翻訳版。問題は、まずカットされた量の多さ。100頁分もカットされると、ドリスとビルの馴れ初め、「ダウン・ホーム・ガール」カバーの経緯、ラスタファリアンの儀式の詳細、この本の白眉、ジャンキー・ベイブたちとの交流話につながるペット・ジャンキー(こんなことをしていたらいつか死ぬと分かっていながら薬を止められない、それ以外は普通の人々)との交流話等々、日本の読者だけが読めない興味深いエピソードが続々。読み返すときに便利な詳細な索引も全部カット。また、カットの仕方も乱暴で、一番肝心なところが端折られるきらいがあり、フィジーでの転落事故の後、著名人から見舞いの手紙をもらうエピソードを例に挙げると:翻訳版はブレア首相とトロント市長の話で終わり、後に続く「自分の死亡記事を予め見るようだった」というキースの所感をカット。この自分を突き放して見る「ソングライターの態度」こそがキースの真骨頂なのに。万事がこんな感じで、複雑な味わいの原作に比して翻訳版はかなり味が単調になっているのですが、さらにそれを補おうとしてか、キースは"I got pardoned anyway"としか言っていないのに、「ありがたく恩赦されてやったよ」とするなど、とりあえずケチャップでもかけとけ的な意訳もめだちます。
その翻訳ですが、こなれた日本語になっているという意味では上出来なのですが、相当に粗い。キーワードまで端折るものだから意味不明になっている箇所も複数ありますし(マッカートニーとのセレブから寄付を募ろうという馬鹿話では「日干しの糞」など)、「故郷の女」が「深窓の令嬢」とか、ジョージ・リセリ(ディランのドラマー)がリサイル、リシル、レクリーと、登場する度に別人などのケアレスミスも少なくありません。一番痛いのは、訳者がキースのことをよく知らないが故の意味の取り違えが結構あることで、例えば「ポップスターにならないために薬をやった」が「ポップスターになるために音楽をやっているんじゃない」とか、「見てくれを悪くすることにしている。前にも歯が抜けるままにして‥」が「男前が台無しだ、今じゃ歯が抜けちまって‥」とか。図らずも背負い込むことになったポップスター・アイデンティティとどう付き合ってきたのか、がこの自伝の縦軸なのに。あと、酷いと思ったのが12章の終わりで、ジャズ・フリークのチャーリーがウェイン・ショーターと競演できて「あてつけ」はあり得ない。CDを聴いていれば分かるとおり、ここのbig flourishは文字通り「大きな一花」でないと。こういうのは編集者が何とかできなかったのでしょうか。
この自伝は、丁寧な日本語で完全訳されていれば、ロックファン以外にも読者を広げ、ポピュラー音楽史の一級の資料になっていたかもしれないのに、肝心の翻訳に恵まれないなんて。キースはティランと並ぶ、良い自伝を書いたのに、本当についてない。そして、日本のファンも。