横浜国大の国文学の一柳廣孝先生のところの修士論文らしい。著者はまだ25歳ながら、十分に出版に足る水準の本に仕上がっている。これまでライトノベルについて言及された資料を徹底的に洗い出し、その足跡をまとめようとしている。その焦点となっているのは、ライトノベルそのものではなく、むしろライトノベルという、やたらと売れる奇妙なものの出現に対する周囲のとまどいだ。この問題を、時系列的に対比して論じる。それゆえ、ライトノベルがどういうものか、ということについても、著者の見解ではなく、あくまで、どういうものと言われてきたか、に止めており、やたら独善的な宣言をぶちあげたがる変なマニア崩れの評論家連中より、よほど好感がもてる。
とはいえ、「ゼロ年代」などという表現が示すように、内在的な視点しか持ち合わせていない。言わば、自分の読書遍歴を位置づけ直すもので、研究者的な視点ではない。つまり、自分自身の大きな文化史的な展望なしに「ライトノベル」という言葉が出てくる二次資料に頼ったために、いかにも学生のレポート臭がする。実作品の構造分析も、ほとんどなされていない。このために、ライトノベルの特徴である明確なキャラクター、乾いた断片的文体、時系列の飛躍や平行など、その元となった、アニメとライトノベルをつなぐ輪である双葉社ゲームブックの『ルパン三世』シリーズ(1985-91)や社会思想社のファンタジーゲームブックシリーズのようなものは、ほとんど視野には入ってこなかったようだ。近年のヒット作品以外は、書籍名だけで、とにかく現物を知らない、自分では読んでいない気配が漂っているのが致命的。(人が言及していたら、実際にその本を手に入れて自分で読んで確認するのが、研究の基本中の基本。)
もちろん、一つの本で多くのことを望みすぎるのは酷だ。いずれにせよ、ただ「ライトノベル」という流行語を追うだけでは、ライトノベルの実体が、他人の言葉の間からすり抜けていってしまう。元ゲーム屋、現立命館の米光一成先生が以前にクイックジャパンで試みていたが、つぎには、この本と同じくらいの精度で、きちんと実作品の系譜を明確にすることが期待される。