今年(2006年)の前半、「ウルトラ・ダラー」(新潮社)を著して話題になった元NHK記者によるエッセイ集です。長年国際ジャーナリストとして海外で見聞した出来事や出会った人々にまつわる29の随想を、この著者ならではの高い教養と溢れるほどの品位を伴った文章で綴っています。
私の心に特に響いたのは「冷戦の廃市」と題した一編です。1960年代、英国外交官として西ドイツの首都ボンに勤務していたジョン・ル=カレと、当時の西ドイツ首相アデナウアーの二人を絡めたかと思うと、現代のドイツがイラク戦争に際してアメリカと大きく距離をとる政治方針をとったことの根源をこの60年代冷戦期の米独関係にまで遡って論じて見せます。
同じように歴史の時計をぐっと巻き戻して、当時はさほど大きな意味をもつとは思いもよらなかった事象を見つけ出し、今まさに進行形の現代史に影響を及ぼす皮肉なまでの巡り会わせを綴ってみせた佳品が「白き沈黙の道」です。
民主党の連邦議員として米国外交史に大きな影響力を発揮したスクープ・ジャクソンは、1945年ドイツ降伏の数週間後にワイマール郊外のユダヤ人強制収容所ブーヘンヴァルトを調査訪問しています。その時彼が伴っていた大学院生の一人が、あのポール・ウォルフォウィッツだったというのです。この強制収容所での見聞が、後のネオコンの中心人物となった男の原点なのかもしれない。そして大戦中のブーヘンヴァルトの悲劇は、めぐりめぐってイラクでの悲劇を生むに至ったのかもしれない。そう著者は悲しい思いを馳せるのです。
この著者の著作とは10年以上前に手にした「一九九一年日本の敗北」(新潮社)以来のつきあいで、ノンフィクション、フィクション、どれも期待を裏切らない、とても読み応えのあるものばかりです。今回のエッセイ集でもその点を確認できたことは、私にとってささやかな安心と喜びを与えてくれる出来事でした。