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ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学
 
 

ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 [単行本]

エドムント・フッサール , 細谷 恒夫 , 木田 元
5つ星のうち 4.0  レビューをすべて見る (2件のカスタマーレビュー)

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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

本書はフッサールが最晩年、ナチスの非合理主義の嵐が吹きすさぶなか、ひそかに書き継いだ現象学的哲学の総決算である。彼はその時代批判を、近代ヨーロッパ文化形成の歴史全体への批判として展開し、人間の理念をめぐる闘争の過程であった歴史そのもののうちに、自らの超越論的現象学の動機を求める。 --このテキストは、 文庫 版に関連付けられています。

登録情報

  • 単行本: 425ページ
  • 出版社: 中央公論新社 (1974/01)
  • ISBN-10: 412000323X
  • ISBN-13: 978-4120003233
  • 発売日: 1974/01
  • 商品の寸法: 21.2 x 15.4 x 3 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.0  レビューをすべて見る (2件のカスタマーレビュー)
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17 人中、13人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
By akira
形式:単行本
 1935年(76歳)ウィーンでの「ヨーロッパ的人間性の危機における哲学」と題した講演が基になっている。
 この書物には第3部まで収められているが、5部構成で構想されていたことが、私設助手オイゲン・フィンクの文章(付録1に収録)から分かる。即ち、第1部「学問の危機」、第2部「物理学的客観主義と超越論的主観主義」、第3部「超越論的問題の解明と心理学」、第4部「諸科学と超越論的哲学」、第5部「人類の自己責任」(標題は省略している)である。なお、第2部に関連した草稿「幾何学の起源について」が付録2として掲載されている。
 この講演が行われた20世紀前半と言えば、数学ではカントルが生み出した集合論を土台として位相空間論、群論、ルベーグ積分等が花開き、物理学では相対性理論、量子力学が登場し、情報科学では、チューリングが万能計算機械の論文を発表と、まさに「ヨーロッパ諸学」が光り輝いていた。「危機」という言葉は、あまりにもそぐわないし、ほとんど言いがかりのようにも聞こえる。
 その言葉は、当時の時代を背景に置いてみる時、意味を持つように思う。1932年にはドイツ財界からの援助を受けた独裁を指導原理とするナチス党が第1党になっている。翌年には「非ドイツ的」書物が焼却される焚書事件が起こり、また内相に任じられたゲーリングがゲシュタポを設置している。1934年にはヒトラーは、大統領兼首相の地位、即ち総統の地位に就く。翌年(講演の年)には反ユダヤ主義のニュルンベルク法が発令され、1938年にはナチス党員と突撃隊員がユダヤ人を襲ったクリスタル・ナハト事件が起こる。
 諸学はそもそもそのような動きが生まれるのを許してしまったし、また生まれたその動きを抑止することもできなかった。諸学は、あまりにも無力だったのだ。学問の無力さを、人々は痛感していたし、それ故、「諸学の危機」というフッサールの言葉にも耳を傾けもしたのだ、そう私は思う。
 この書物は、フッサールの理性主義に対する強い決意表明で終る。この表明は、いささか唐突であるが(実際、編者のヴァルター・ビーメルが他の草稿のものを付け足したものだ)、心を動かされもする。フッサールは、終生敬虔な信仰を持ち続け、理性に従って生き、それを「人類の自己責任」として最後まで全うした。自らもユダヤ人として迫害され、ナチス政権の下、人々が自分から離れてゆき、孤独を強いられる中で、止むことなく理性への問いを問い続けた態度に対する時、私は頭が下る。
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理性とは何か 2012/5/30
形式:文庫
当たり前だが自然には法則はない。自然自体にはこうならなければならないはない。
百万回同じことを繰り返したからといって次の一回もそうなるかはわからない。自然自体には次もこうならねばならないはない。
あくまでも人間が自分の都合で見いだすものだ。認識とか客観とか科学とか。あくまでも人間の都合、それも他の人間の都合を押しのけて、一人一人違うわがままがこそが認識だ。
自然にしろ、他者にしろ次そうなるか納得するかはわからない。むしろそうならないだろう、納得してないだろう。
だからこそ違っているからこそするのが認識である。
で、現象学である。
客観としての認識の外にある物自体や実在を否定すること。しかし、同時に客観主義である。
個々の目の前にあるものからは説明されない、アポステリオリに捉えられないアプリオリ。
そういう物としての普遍にアクセスするのが現象学で、そうじゃないなら単なる解釈学であり、世界観哲学の相対主義であり、フッサールの敵である。
フッサールが生涯批判したのは客観主義的自然主義=唯物論と、主観主義的世界観哲学=相対主義だ。
単なる唯物論、客観主義も否定したが相対主義も蛇蝎のように嫌った。
厳密な学としての哲学。誰がやっても同じように変わりない手続きとり、同じ結果をもたらす。それが現象学だ。
フッサールは個々の視点が局所的限定的であること、そこしか現実の経験は存在しないことを強調するが、同時に個々の今ここの局所的経験では説明できない、
時間や数、この目の前の花の赤と30分前に見た消防車の赤が赤として同じ赤であり、普遍は実在すると語る。
しかし当たり前だか普遍は実在しない。
花の赤と消防車の赤は違う。違うものを無理して人間の都合で一緒にしているだけだ。その方が経済的だから。
自然には法則はない。法則は人間が作るものであって、更にその法則は各人各様に違う。

現象学もまた、このアポリアから逃れられない。
主観を強調しながら、他者をどう位置付けるのか、ある主観の他者の位置付けを押さえることはできても常に正しい間主観性なと得られるのか?
そして答えられない問題を残して今日もこの本をあなたのような読者が読む。

初っぱなから間違っているから。フッサールから答えは出ることはない。間違っているから。

何故、違うものと違うものを結びつけてそれでもそこに意味があると意味を作らねばならない。人間存在。そちらの方にしか答えはなくて。
現象学をいくら覗いてもそこには答えはないから。
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