黒澤明監督『羅生門』のスタイル。 映像化されている内容は作品世界内の「事実」であると言う前提をくつがえし、登場人物の回想や証言というフィルタを通したある種の劇中再現映像が提示され、事実は闇の中。 この形式は絶賛され、同作品はハリウッドの教科書の1頁を飾った。
本作が教科書と違うのは証言映像自体は取り立てて事実とかけ離れてはいないこと。 再現されなかったアングル、カット、シーンが沢山あるだけであって、証言映像のあるカットでカメラが180度回ればそこにはソゼの正体がばっちり映るような…。 映像は(作品世界内の)事実を一部しか語っていないだけで嘘はついていない。 証言内容に出任せが沢山あるだけで。
事実の中から一部だけを恣意的に切り取って提示して、そこに出任せのコメントを付けるだけで全く別の世界観が表れ、一同が騙されてしまう。 そこがスリリング。 クライムサスペンスともミステリーとも違う、もっと別種の面白さ。
ある意味、現実に近い。 報道も世間話も教科書も、何を語り何を語らないかは恣意的に選択され、語りたい物語に沿って並べ替えられ編集されているのだから。 我々を取り巻く事実にもカイザー・ソゼの正体程度の謎は常に潜んでいる。 語られなかった事実を知らないまま語られた事実を信じてしまう事の愚かさ、そして恐ろしさ。 そこにハッと気付かされる、或いは薄々気付いていたが認めたくない痛いところを不意打ちされる、そんな面白さだ。