『千と千尋の神隠し』に関しては、民俗学、神話学、宗教学、あるいはユング心理学など、構造のできあがった学問をそのまま移築という感じで導入して、読み解いたものはいくつか読みました。ジブリの歴史や、アニメ的な技術の面を軸にとらえたものも見ました。
でも、本当のこの作品のすごさ、心にもやもやねっとりわだかまり、カラフルな駄菓子のようについ、何度も食べたくなってしまういかがわしいような味、そこに妙に接合している清澄な水や天空のイメージ、それはどう言葉にしたらいいのだろう。
ずっとそう思っていたことを、あまり分析をしない感じの作家たちのなにげないひとことひとことがえぐりだしてくれた面白さがひとつ。
そして一番心をつかまれたのは、切通理作、阿部嘉昭、小黒祐一郎の鼎談「映画が終わってもぼくらを憶えていてほしい」でした。ことに阿部氏の、「無気味なもの」(抑圧された幼児期のなつかしいもの)が湯屋にあふれているとか、空間がいろいろな要素で混在的に埋められて脱中心になっているとか、ひじょうに感覚的に鋭い発言に蒙を啓かれました。切通氏の「もののけ姫」は世界構造が先にあるけれども、『千と千尋』は千尋の視点のみで、彼女との関係性においてのみ世界がある、という発言もそのとおりだと思わされました。この鼎談だけでも読む価値のある一冊です。
千尋の成長だとかイニシエーションだとかにとらわれていた目を洗って、もう一度虚心にこの映画を見直そうという気になりました。