この本は、わずか200頁強の本でありながら、イエスとイエスの教団、イエスの教えに肉薄しようという三田のいつも通りの野心的試みである。
三田は、作家らしく、ルカ、マタイ、マルコ、ヨハネの四つの福音書および戦後発見された「トマスによる福音書」「死海文書」の内容のズレから、真のイエスの姿に迫ろうと試みる。若き頃から腐敗・形骸化したユダヤ教の分派を批判し、それがもつ強烈な民族主義を超えて“普遍的な人間の苦悩”の解決のために行動するイエスの姿がまるでそこにいるかのように描かれている。また、十二使徒の一人一人の姿も実に生き生きしていて読んでいて楽しくなる。
『予言書「イザヤ書」に書かれる“屠り場に引かれる子羊”、“彼は自らを償いの捧げ物とした”という部分こそ、キリスト教の宗教原理の根幹であり、イエスは自分自身を「生け贄の子羊」として捧げ、神と新たな契約を結ぼうとした。それこそがキリスト教の教典が「新約聖書」と呼ばれる理由』らしい。
三田はここで大胆な仮説を立てる。熱心党のリーダー格であり、イエスの教団への資金供給を行い、教団のNo.2で会計係でもあったユダは、ローマ帝国支配打倒への意志を示さないイエスを利用できないと最終的に判断したというのだ。最後の晩餐でイエスに「なすべきことをなせ」と言われ、静かに席を立つユダ。神殿兵への連絡、イエスだけの逮捕。そしてゴルゴダの丘でのイエスの処刑・・・。(イエス処刑後数十年経って熱心党は第一次ユダヤ戦争と呼ばれる大反乱を起こしている。)
イエスにはもちろん“殉教の覚悟”というものが常にあったのは想像に難くない。しかし、わずか30歳でその生涯を本当に終えようとしたのだろうか。一人でも多くの人を救うために数々の困難も克服してきた、強靱な生命力と精神をもつ彼は生きられる限りは生きようとしたのではないか・・・。春の朧夜に僕はじっと目を凝らして考え続けている。