本書は1945年朝鮮で生まれ、東大で井上光貞に師事し石母田正にも影響を受け、日本古代学の形成に尽力している日本古代史研究者が、2010年に刊行した本であり、紀元前後から推古即位(592年)までを対象とする。第一に、本書では邪馬台国の所在地を、上代特殊仮名遣い、魏志倭人伝の史料批判、魏の対倭認識、漢鏡分布から、留保付きで近畿とした上で、その社会構造についても分析する。第二に、本書は記紀の史料批判から、ヤマト王権の初代の王を4世紀前半頃の祟神天皇とする。第三に、倭国統合に伴い、地域的特色を持つ弥生墳丘墓から定型的な規格の前方後円墳が形成され、その発展の上にヤマト王権が成立したとされる。第四に、倭の五王は治天下(倭国・夷テキ・朝鮮)の承認を求めて中国南朝に遣使し、人制(84頁)を通じて国内を支配していたとされる。第五に、本書は応神期を海外展開の時期ととらえ、王朝交代説を否定する。また、本書は継体没後の二王朝説も否定する。第六に、倭国は資源と先進文化の導入を求めて朝鮮出兵を行ったが、その結果文物や人物の双方向の流れが生じたことが強調される。第七に、本書は「任那日本府」をヤマト王権の出先機関ではないとする。第八に、継体期以降、各地への屯倉の設置を通じた在地首長の国造・県稲置化が進展する。第九に、5世紀に姓を有したのは倭国王家と渡来系移住民のみであったが、6世紀には王権との仕奉関係に基づく職掌名が氏の名に負わされて部民制と氏姓制度が成立し(164頁以降)、逆に天皇家と賤民は無姓者になる。第十に、この時期の天皇は群臣から推挙され、また彼らを新たに任命したが、渡来系氏族と関係が深く天皇の外戚となった蘇我氏の台頭と共に、この構造は崩れてゆく。一部に推測に推測を重ねる部分も見られるが、本書は以上の事柄を手堅く論証している。