やくざという存在が日本の近代化といかに分かちがたく結びついていたか。
下層労働現場における「仕切り」役として、「芝居小屋」などの悪所の顔役として、末端庶民への社会権力として、そして時には理不尽な支配に対する反権力の暴力装置として、著者の主張するところでは「昭和20年代ころ」までその存在は一般社会と地続きであったとされる。
「親方・子方」関係や「義理と人情」の価値体系から語られる日本社会の深層に根ざした存在としてのやくざ論はスリリングだし、「自治としての談合」という切り口などは談合を否定する人々も是非知っておくべき歴史的経緯だろう。
ただ、高度成長を経て大きな変化を遂げた日本社会の中で、やくざという存在もまた変質を余儀なくされたはずであるが、その点について本書は多くを語らない。バブルを経て「偽装請負」などの言葉に象徴される不安定雇用がはびこる現在、社会経済の裏面ではいまだ彼らが蠢いているはずなのだが、やはりやくざを語るには時間と距離が必要なのだろうか。