私たちがオペラ映画に期待するのは、映画だからこそ描き出すことのできる世界です。その点からすると、冒頭から見事なポネル演出が展開されます。序曲でフィガロが仕分けする荷物の内容がフィガロの愛読書、モンテスキューの『法の精神』や『ヴォルテール全集』などです。その意味を考察し始めたら、もう画面から目が離せません。
ミレルラ・フレーニのスザンナの動作や仕草も精妙を極めており、幾多の『フィガロの結婚』の名盤にも劣らず、それらの意味を語りたくなります。
キリ・テ・カナワの伯爵夫人やディースカウの伯爵、ユーイングのケルビーノも映画でこその演技をしています。
水林章『モーツァルト《フィガロの結婚》読解』(みすず書房,2007)は、これらのポネルの演出に多くふれています。例えば、伯爵夫人が歌うときに口を開かないのはモノローグだからで、それが彼女の痛々しい姿の描写になり、その際に映し出される多くの思い出の品々が過去の痛々しい証人である等など。ポネルは一日だけの物語では描ききれない「時間」を映像で表現しようとして成功しています。水谷氏が指摘している場面、スザンナの手紙の文字の間違いを直す伯爵夫人とか、みどころ満載の映像なので、それらを見過ごすことはポネルの遺産を無視することになります。
ポネルの遺した演出作品は「読み手」を刺激する仕掛けに満ちています。特にこの『フィガロの結婚』は素晴らしく、断じて失敗作などではありません。ポネル演出のオペラ映画としては『コシ・ファン・トゥッテ』『ポントの王ミトリダーテ』やモンテヴェルディ『オルフェオ』『ポッペアの戴冠』『ウリッセの帰還』なども素晴らしい作品です。