著者はあとがきでこう記す。
「(さまざまな日本語訳がでている現在に)ここで新たな訳を加える意味はと考えますと、(中略)やはりこの対訳ライブラリーでの基本方針にしてきた逐語訳、原文に忠実に、原文に何も加えず、引かず、原文の各行ごとにそれに対応する日本語を付していくという先例のない作業を試みることです。(中略)ただ言語体系の異なる二か国語のあいだの逐語的変換はむずかしく、訳語が不自然で意味も取りにくくなってしまいます。読みづらいとお叱りを受けそうですが、私としては、この対訳は原文をそのままに知っていただくことが主眼・・・(以下略)」
とおっしゃる通り、意味が取りにくいです。例えば、フィガロのカヴァティーナ「もし踊られたくば」では、
Meglio ogni arcano すべての秘密は、よりよく、
Dissimulando しらばくれている方が
Scoprir potro' 暴けるというものだ!
まるで、パソコンの翻訳サービスのようです。よりよくしらばくれるってなんでしょうか?
(ちなみにこの部分、アバド盤に付属の武石英夫氏の訳では、2行→3行→1行の順に並び替えて、「いやいや、すっとぼけているほうが/秘密をすっかり暴くのには/都合がよさそうだ」となっています。どっちがわかりやすいかは、明瞭です。)
逐語訳を意図して、訳が改行をまたがないのはわかるんですが、ここでの改行はひとつの文のなかで行われています。こんなふうに訳していたら、文意の取り間違えが起こらないほうが不思議です。
ちなみに僕は語学の勉強をかねて辞書を引きながら読んでいますが、参考になりません。(辞書をひけば単語はでるので、逐語なら簡単にわかるんです。)
というわけで、だいたいわかればいい人にも、語学派にも、おすすめできません。小瀬村先生の訳が悪いというより、コンセプトが失敗していると思います。