カール・ベーム&ウィーン・フィルによるモーツァルト交響曲40番・41番は、ベームさんの亡くなる6年前1975年に収録されました。彼らのモーツアルト演奏の集大成というべき大変に密度の高い演奏です。
第40番は一見すると優雅で穏やかな曲ですが、その中にこもる情熱の濃さ、半音階の転調を繰り返しながら盛り上がっていく緊張感、焦燥感をにじませるドラマティックな音楽、ベートーベンの第5交響曲を彷彿とさせます。
第41番の有名な第4楽章の、複雑で緻密で大掛かりなフーガと高揚感はベートーベンの第7交響曲につながっていくものでしょう。
この二つの交響曲は、人間モーツァルトが「神の楽器」であることに抗い、現世の不条理に抗議し人類の和平を希って書かれたものと思っています。
かなりの高齢のベームさんが、そこいら辺の若い指揮者など問題にならない位、激しく強烈にタクトを振っています。時々、かすかですが譜面台にあたる音がする程です。込める思いの強さをひしひしと感じない訳にはいきません。
さて、この2曲が収録された4年後、つまりベームさんの亡くなる2年前に収録され、上2曲のCDの最後にカップリングされている小品が表題の「フリーメイソンのための葬送音楽」です。
約7分の短い音楽ですが、私には人間モーツアルトの肉声での慟哭が聴こえて来るように思えます。
心許し信頼した友人の死に接し、あられもなく泣き喚き、遺骸にすがりつくモーツァルトその人を見ることができます。
この曲に「神」はもう登場しません。
第1バイオリンがモーツアルトの悲嘆を奏で、フルートやオーボエの管が周囲の人たちの死を悼む声を、そしてチェロやバスが、悲嘆にくれるモーツァルトを引きとめます。
カール・ベームが愛してやまなかったモーツァルトの、しかも名コンビ ウィーン・フィルとの殆ど最後の収録に、この曲を選んだ意味を深く考えています。