彼の著作は「データに語らせる」ことで一貫していて、声高に持論を語る姿勢は持ち合わせていない。
文章も、単なる事実の羅列ではないか、と思われるほど、そっけない。
なのに、一気に読みとおしてしまう面白さがある。
編集者としての鋭い嗅覚が、多くのデータの中から「売れる情報」を見出し、それを新しい視点で「配列構成」していく。その手腕の巧みさ。
本書も、タイトルも装丁もあまりに地味な一冊である。
しかし内容は、刺激的だ。
「サラリーマン」としての音楽家が「フリーランス」として生きることになる
ちょうど時代の境目に、この二人がいた。
時代は、ヨーロッパを二分する戦争のさなか。
フランスでは、革命の狼煙が上がろうとしていた。
音楽ファンが普段目を留めない歴史的背景や政治的背景をきっちり押さえた上で、中川が注目するのは「作曲家の経済活動」である。
たとえば、モーツァルト親子が繰り返した楽旅を「興行」ととらえ、判明する限りでその収支を数字で示す。
そこから、「神童」を息子に持った父レオポルドが、一攫千金を狙って旅を重ねていく様子が、浮き彫りになっていく。
やがて独立したモーツァルトは、ウィーンでいかに生計を立てていったのか。
演奏報酬や作曲報酬、再演の報酬などを、判明する限り詳しく述べることで活写していく。
楽団勤務の給与や、受注した作曲で所得を得ていたモーツァルトが、はじめて自分の意思で作曲し、完成後に売り込もうとした作品こそが歌劇『フィガロの結婚』であった。
こうした事実を知るだけで、読者は聴きたくなるのではないか。
晩年の作品『魔笛』には、『フィガロ』や『ドン・ジョヴァンニ』の二倍の報酬(約900万円)が支払われていたことも驚きだ。これまで同作は、食いつめたモーツァルトが、格落ち仕事を承知で芝居小屋のために,安く引き受けた仕事のように思っていたのだが…。
窮乏のため野垂れ死に同然だったとされていたモーツァルトだが、残した借金は約4500万円。
晩年評価を落としたとはいえ、相当潤沢な収入があった彼にとっては、ニ、三年分の年収額。彼の死後も楽譜は好調に売れ続け、数年で全額返済したのだから、これは先行投資だったと考えてもおかしくない。
彼は決して破産などしていなかったのだ。
一方、フリーランスのさきがけであったもう一人の巨匠ベートーヴェンも、デビュー当初は注文仕事や個人教師を精力的にこなし、名声を高めた。
その彼が得意としたのが「献呈」という方法。
これはで自作を貴族など富裕層に一方的に送りつけ、収入を得るというもの。名声あって成り立つ商売だが、思えば大胆な方法。見方を変えれば詐欺まがいといってもいいくらい。
この本を読むと、彼ら二人が激動の時代、まぎれもない「プロの音楽家」として、したたかに生きたことが伝わってくる。
日本人の考える「孤高な世捨て人的な芸術家」というイメージを見直させる、データの力だ。
しかも、十分に、中川右介の「芸術論」「仕事論」が伝わってくるのである。
芸術といえど仕事であり、経済活動である。
それは現代と少しも変わらない「作って稼ぐ」という営み。それが存分にできたからこそ彼らは「大音楽家」なのだ…。
音楽や芸術に関心のない人でも、参考になること請け合いの一冊。