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24 人中、20人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
歴史書ではなく臨床の本として,
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レビュー対象商品: モーセと一神教 (ちくま学芸文庫) (文庫)
1939年に発表されたフロイトの宗教論・文化論についての論文である。精神分析は神経症の治療技法として創出されたが、人間理解の方法として宗教 や文化の解釈と再構成にも利用されることがある。本論文はその一つである。 本書は精神分析的な視点からユダヤ教の成立史やモーセの出エジプトにつ いて論じている。着想は独特であるが、現代的な歴史学や宗教学からは「事 実に即していない」ということであまり取り上げられることは少ないようで ある。僕も詳しくないが、多分フロイトの言っていることは「歴史的事実」 としては間違っているのだろうとは思う。 しかし、本書を単なる歴史書や宗教書として見ると、その価値はあまりな いように思うが、視点を変えて臨床のモチーフやメタファーとしてみるとま た違った色合いが見えてくるように思う。 例えば、「モーセ、ひとりのエジプト人」や「もしもモーセがひとりのエ ジプト人であったとするならば・・・」などの章では、モーセの名の由来や 出生についての探索が行われている。これは臨床の中で言えば、治療者が患 者の生育歴や早期外傷体験の探索・想起などを行っているところが目に浮か んでくる。患者の語られる材料をもとに、自由連想を駆使し、一つ一つ確か めていく。これはきわめて臨床的なことである。 また、モーセという人物を実在のものとせず、心的内容物のある象徴とし て見て、ユダヤ教をスクリーンとして、そこに一人の人間の無意識や乳幼児 体験を写しだすことができているように思える。宗教における戒律や取り決 めは個人の超自我に当たるだろ。 すなわち、フロイトはモーセやユダヤ教の分析を行っているように見えて 、それはメタファーとしてフロイトの臨床や分析技法を書き記していると理 解することができる。本書を歴史書として見るか、臨床を記述している書と して見るかで、かなり大きく異なってくるだろうと思われる。
13 人中、10人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
心的外傷モデルによる「抑圧されたものの回帰」,
By yojisekimoto (神奈川県横浜市) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: モーセと一神教 (ちくま学芸文庫) (文庫)
この書における最晩年のフロイトはモーセに自己を重ねており、唯一神がユダヤ民族にとっての超自我として制作(自然発生説ではない)されるプロセスを丹念に措定している。重要なのは、フロイトの「抑圧されたものの回帰」が心的外傷及びその遅延した露呈としての神経症をモデルとしていることだ。 汎性欲説(幼児研究においては有効だったが)ではなく、それまで否定してきたピエール・ジャネの理論を採用しているのだ。追憶と忘却のなかで隠蔽されているのはフロイト自身の変節である。 なお、解説はフロイト自身によるエスに関する1923年と1933年の図を両方収めていて参考になる。
12 人中、8人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
父親殺しとトーテム、エディプスコンプレックスと去勢コンプレックスの起源,
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レビュー対象商品: モーセと一神教 (ちくま学芸文庫) (文庫)
岸田秀さんが『靖国問題の精神分析』の中でも触れているが、フロイトが本当にやりたかったのは、最晩年のこの『モーセと一神教』のような社会集団の分析なのではないか、と。個人心理を集団心理に転用して分析するというよりも、個人の人格形成のメカニズムと集団の社会構造のメカニズムは同型なんだから、国家の問題を、個人の自我の問題と同じように語ってもかまわない、と。つねに距離を置いてみられつづけられてきた本だが、ひとりの「エジプト人」であるモーセが(つまりユダヤ人ではない)ユダヤ民族をつくり、ユダヤ民族の"エス"がモーセの掟においてあるというテーゼは、すくなくとも読み物としても面白い。 イクナートンが「光への信仰」ともでもいうべき厳格な一神教をエジプトに導入しようとして失敗し、その信奉者が、ユダヤの地に民を率いてのがれ、やがて民によって殺されるが、そうやって生まれた「ユダヤ人」たちにとって、自分たちを率いてきたモーセを殺したことは父殺しの記憶して残る、というわけなのだから。
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