本書でまず圧倒されるのはその壮大な問題意識である。モンゴル帝国はこれまでの西洋中心史観、あるいは中華史観の枠組みにあって不当に軽視され、あるいは負のイメージを付与されてきた。著者はそれを歴史における「知の虚構」であるという。そしてグローバル化の時代にあって紛争や対立を乗り越える思考が求められている今、「文明の衝突」などといって「歴史の必然めいた諦観で打ち眺め」ていることなく、人類の来し方行く末をきちんと見据えるためにも人類に共有される歴史像・世界史像を構築する必要があるという。本書は、そんな問題意識を根底に置きつつ、モンゴル帝国が生み出したアフロ・ユーラシアの「大統合」とその後の歴史を描きつつ、現在にまで至る世界史を駆動させたモンゴルの歴史的意義を再考するものである。
著者が言うように西洋中心史観では「大航海時代」以後でしか「世界史」像は語られることはない。(それ以前は各地域にそれぞれの文明・文化圏、プロトタイプの国家がバラバラに孤立して存在。)言われてみれば確かにそのとおりで例えばウォーラステインですら、大陸を越えたヒト・モノ・情報のネットワークや近代資本主義の成立といったものの起源は「大航海時代」を切り開いた西洋諸国にあると見ているといえる。だが、本書は13世紀に始まるモンゴルによるアフロ・ユーラシアの東西「大統合」とその影響を見据える。大清国やオスマン帝国、ロシアやハプスブルクといったポスト・モンゴルの時代に世界各地に存立した「ランドパワー」の数々は紛れもなくモンゴルの遺産であり、また、大元ウルスを中核とするモンゴル帝国のユーラシアの大統合は支配システムや銀を共通価値基準とする経済を普及させた。「資本主義」の基点は「大航海時代」のみならず、モンゴル時代にこそ求められる可能性があるという。大航海時代の「海進」のみならず、モンゴル時代が切り開いた「陸進」もまた「世界史」の重要な駆動力であったことが実感される。
中国史、ロシア史、ヨーロッパ史…様々な領域において高校世界史以来の自分の歴史認識が次々と転覆させられていく。知的刺激にあふれ、著者の壮大な問題意識には舌を巻き、「客観的な世界史」とは一体何なのだろうかと考えさせられる一冊。傑作。