ボルヘスとの共著でも名高いカサーレスの代表作です。小説でありながら、読了後、自己の在り方や、自己に内在する他者性といった抽象的な思考にいざなわれます。フォスティーヌという他者に思いを寄せることで生じるモレルという障害が<私>との共通性ゆえ、実は<私>が乗り越えなければならない、自身に内在する「他者性」そのものであるという、ある意味においてモレルと<私>に「鏡像関係」を生ぜしめ、つまりフォスティーヌに寄せる<私>の思いは、実は自己の内面に向けられたものであり、フォスティーヌの<私>に対する無視あるいは軽微な仕草は、<私>の内面における他者性の目覚めを意味しているように読めました。しかし、逆に<私>の内面における他者性の目覚めは、それを明確に認識、超克することで初めて為される、現実における他者とのつながり、あるいはつながることの不可能性を暗示しているようにも思われます。また、フォスティーヌとモレルとの関係も、巻末の「訳者解説」にあるように、モレルを「男装をした同性愛の女」と考えると、モレルを障害とする<私>の煩悶自体が無効になり、それがモレルのような存在そのものが無意味と言っているのか、そういった存在を通して煩悶することが無意味だと言っているのか、僕は後者のようにも思うのですが、それをかなり曖昧に書いているところから考えると、その曖昧さ自体が著者の意図するところではないかという気にもなります。ところで、訳者も述べているようにボルヘスによる序文は、この作品にスムーズに入っていくためのすばらしい先導役になっています。これからこれを読む人は、まずこの序文を十分に吟味して本文に入ると、作品の全体像がより鮮明になると思います。