初読はずっと以前。それでもずっと心に残っていました。最近再読。メディアという概念をどう捉えれば良いか、そしてわたしたちがメディアとどう関わっていくべきなのか、この本の「問い」は現代においても色あせていないと思います。
たとえば、親が子供にTVゲームのやり過ぎを叱るとしたら、それはいちいちゲームの内容について批判を持っているからではないでしょう。TVゲームのTVゲーム性というか、つまるところTVゲームの持っているメディアの「メッセージ」を親は受け取っているわけで、文句を言いたくもなるわけです。あるいは面と向かって頭を下げるのと、Eメールで謝罪のメッセージを送るのでは、フェイスtoフェイスとEメールというメディア性の違いと言うのがあるわけで、もちろん「メッセージ」は全く変わっちゃうわけです、当たり前に。メディアというものの捉え方を、社会や歴史という文脈において考察したり、あるいは人間知覚の拡張としてわたしたちに何を可能たらしめ何を不可能たらしめるのかといったことが、マクルーハン一流のハイパーテキストな感じの文章で描かれています。
個人的には昨今のメディア論だかメディアリテラシーだかは、どうにも理論寄り・ハイテク寄りすぎで、人間の知覚レベルでの話は置いてけぼりになっている感じを持っています。マクルーハンは「グーテンベルグの銀河系」で活字と話し言葉というメディアの違いを明確に示しました。この本も必携でしょう。しかし死後に刊行され、息子との共著という形になった「メディアの法則」も実際的な形におさめようとしたためか、マクルーハンのエッセンスが抜け落ちてしまっているように思えてなりません。結局、メディア論を学問としてではなく、たとえばギブソンの知覚論とか、シブルブシェやベンヤミンなどの文化史の変奏として読めば実り多いのではないだろうか、などと思いました。