原題であり主人公の名前でもある「ヘッシャー」は「大のヘビメタ好き」という意味なのだそうです。クリフ・バートンへの追悼を思わせる、初期メタリカのアルバムからの選曲、ヘッシャーの体に描かれた奇妙なタトゥのデザイン、ストーリー展開等は、古くからのメタリカファン、ヘヴィ・メタルファンの方々を、きっと喜ばせるのだろう、、、と思われます。(私はメタル・ファンではないので、このあたり、推測です。映画パンフレットで伊藤政則氏の解説、メタリカは『ジョニーは戦場に行った』のシーンを長く使ったPV等、映画にからむ楽曲は作るが、自らの曲を映画に使用する許可を滅多に出さない、等は興味深かったです)
ジョセフ・ファンの私は、『(500)日のサマー』『インセプション』と同一人物とは思えぬ「不審者ぶり」に、ひたすら大笑いしました。長髪で半裸の彼もステキです。
しかし、ストーリー展開は、前評判や、予告編から想像するような、派手でオモシロおかしい映画ではありません。今をときめくナタリー・ポートマンも、「これが彼女なの!?」と目を疑うほど地味な役です。(初プロデュース作品ということもあってか、本作品のナタリー、徹頭徹尾、脇役です)
物語は静かでダークなトーンで進みます。事故で母を亡くした少年とその家族。毎日がうまくいかないレジ係。彼らの前に突然現れる不審な男、ヘッシャー。ヘッシャーが劇的に周囲の人々の毎日をオモシロおかしくしてくれるんだな?・・・と思いきや、そういう訳でも、ないのです。助けてくれることもあれば、助けてくれないこともある。頼りになるのか、ならないのか、とにかく何をするにも下品で、それなりの説得力があればまだしも、説得力も、あんまりない。変わっていくのは、あくまでも少年自身、ヘッシャーはただの通りすがりのメタル好きの「へんな男」、しかしその行動にはひたすらパワーが漲っています。不幸に疲れてウツウツとしている人々に欠けているもの、その権現のような男がヘッシャーなのです。
誰のメイワクも省みず、常識・道徳は一切通じず、とにかく意味不明な行動にばかりでるヘッシャー。
彼と最初に意気投合するのが、意外にも、足腰が弱い少年の祖母であること、印象的です。
子供の頃は素直だったのに成長してやさぐれた孫と、老いてからは見かけ上、大人しくしているものの、内側には若き日々のパワーが漲る祖母、といった具合。時空をねじまげひっくり返せば、二人は似た者同士かも? ・・・と想像すると、面白いです。