池田氏の作品を読むと,いつも,自分がとうていできない境地において深く考えている人なんだろうなと,彼女の思考体験にたいするほのかな憧憬あるいは羨望とともに,ときになにかがまちがっているのではないかという不確かな直感と,存外浅薄なカラクリがあるのではないかという邪心を覚える。
ひとつ気にかかるなのは,彼女がいわゆる天使的誤謬を犯していないかということだ。本書で池田氏は「純粋精神のなんたるかを各自思い知ったそのうえで,公共の言論活動に参加しましょうね」と述べる。しかし少なくとも死ぬまでは,人間は純粋精神などわからないはずである。天使と違って,肉体をもつものなのだから。思考に思考を重ねれば,肉体を捨象して精神の立場に立てると思うのは,人間を天使と混同するものである。
池田氏は,しばしば虚無という言葉を用いる。ほんとう,は,虚無なのだと考えているかのようだ。しばしば彼女が語る禅体験が怪しいと思うのは,ここである。みずから体験がないので当てずっぽうで言うが,ほんとうの禅体験は「ありがたい」「もったいない」につながるはずで,彼女には感謝と謙虚が欠落している。
天使的誤謬と生半可禅とが結びついてしまったところに,池田氏の怪しさの理由があるように思われる。にもかかわらず,彼女がある種の思考の徹底性をもつかぎりにおいて,気づかされるところもあるように思われ,惹かれてしまうのである。