ベルリン生まれのユダヤ系文献学者が1946年に発表し、49年に増補された作品。タイトルにある「ミメーシス」はプラトンが言及し、アリストテレスが「詩学」で悲劇に就いて語る際にくわしく定義づけされた概念で、文学作品が現実を描写する際の原理として機能する。直訳すると「真似る」、「模倣する」となるらしいが、本書は「オデュッセイア」中の描写を端緒としてヨーロッパ文学の歴史的集積を、現実描写に関わる具体的なテクストを例示しながら分析し、執筆当時の社会的・歴史的状況、先行するテクストとの共通点や相違点、執筆者の創造性や後世への影響力などを見出そうとする試みになっている。冒頭に篠田一士氏による「序にかえて」という小文があり、日本人の読者がこの書を読む意義に就いて語っている。「日本的」なる伝統とは明治時代に切り離されてしまった以後の日本人にとって、ヨーロッパ文学というのは日本人が親しんでいる「文学」の原型であり引用元であり、ある時代においては辿り着くべき目標でもあり、それだけに正確なプロポーションを思い描くことは日本人にとっては実は自明で自然なことではないが、日本発の文学を理解するときには大切なことのように思える。
上巻である本書はホメロスの叙事詩がもっている、一様に目の行き届いて滑らかな叙述と、旧約聖書の断続的で暗示的な、個人の実存的な生と歴史的な展望を含んだそれを対照的に例示し、二つの典型として設定する。一方はローマ時代の歴史書や雄弁術、一部キリスト教神学に、そして人文主義者の散文に流れ、もう一方は新約聖書やキリスト教神学、宗教劇やダンテの「神曲」において比喩形象の参照元になると同時にその視点を継承された。本文中にはラテン語やイタリア語による原文と対訳が縦横に引用され、訳者の苦労が窺える。文章の端々に文学作品に就いてのエッセンスが鏤められていて、それもまた参考になる。