先日、仙台の歴史を取り上げたグラビア本で、宮城女学院の生徒の戦前の集合写真を見る機会がありました。そこに残されていたのは、大東亜戦争直前の昭和10年代に、しゃれた洋装に身を包んだ戦前のミッションスクールの女学生たちでした。どの顔も屈託がなくその後に待ち受ける苦難を予想させるものは何も感じさせません。このようなミッションスクールが、なぜ日本にそれも東京以外の場所にまで、多数作られたのかについて、この作品は答えを与えてくれます。この特異な存在が、日本の近代の中で演じた役割は、一筋縄ではいきません。それは、西欧文化導入と近代化のルートとしての必然性とその存在に対する本質的な誤解に由来する喜劇性の両面を持つものです。著者は、mosseの国民化理論をベースとして、この不可思議な対象に接近していきます。したがって、この対象は、国民化現象の日本に特有な発現形態である立身出世主義の陰画として、描かれることになります。著者の分析は、明治に始まり現代の平成のコミックにまで射程を広げていますが、この二面性の分析は見事です。しかし、現代の受験校の選択と絡めてミッション・スクールの存在を取り上げた部分(218ページから)は、私には醜悪な構図にしか思えませんでした。もっともその醜悪さは、日本の近代が必然的に引き受けざるを得なかった側面なのでしょうが。最後の結語の部分も、その存在の究極的な”堕落”の必然性の認識においては、あまりにもナイーヴな結語に終始しています。最後の最後まで著者自身の経歴は語られることなく、限りなく禁欲的な作品です。