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ミシェル・フーコー講義集成〈8〉生政治の誕生 (コレージュ・ド・フランス講義1978-79)
 
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ミシェル・フーコー講義集成〈8〉生政治の誕生 (コレージュ・ド・フランス講義1978-79) [単行本]

ミシェル フーコー , Michel Foucault , 慎改 康之
5つ星のうち 5.0  レビューをすべて見る (2件のカスタマーレビュー)
価格: ¥ 5,775 通常配送無料 詳細
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合計価格: ¥ 12,600

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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

健康・衛生・出生率・寿命・人種などにより政治実践に対して提起される諸問題の合理化を試みる“生政治”を考察するために―ドイツ的形態の新自由主義およびアメリカ新自由主義を実証的に展望し、“ホモ・エコノミクス”の出現へと遡って市民社会を独自に分析する。現代史にフーコーが大きく踏み込んだ稀有な講義。“社会科学のアルケオロジー”の到達点。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

慎改 康之
現在、明治学院大学准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

登録情報

  • 単行本: 421ページ
  • 出版社: 筑摩書房 (2008/08)
  • ISBN-10: 4480790489
  • ISBN-13: 978-4480790484
  • 発売日: 2008/08
  • 商品の寸法: 21.2 x 14.8 x 3.2 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 5.0  レビューをすべて見る (2件のカスタマーレビュー)
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形式:単行本
 日本語のwikipediaにある項目「ミシェル・フーコー」には、こう書いてある。

「(…)従来の権力機構においては、臣民の生を掌握し抹殺しようとする君主の「殺す権力」が支配的であったが、この新しい「生の権力」は、抑圧的であるよりも、むしろ生(生活・生命)を向上させる。例えば、住民の生を公衆衛生によって管理・統制し、福祉国家という形態をとって出現する。フーコーは、個人の倫理を発展させることによって、この「生の権力」の具体的な現れである福祉国家に抵抗するよう呼びかけた」

 上のように「生の権力」と福祉国家が同一視されると、福祉国家の凋落が誰の目にも明らかな現在「フーコーの権力論はオワコン」ということになってしまいかねない。フーコーはこの講義で統治テクノロジーとしての新自由主義を分析しているのだから。1979年はちょうどサッチャー大統領が誕生した年であり、翌年レーガンが続いている。当時のほとんどの社会批評がまず現代社会を「消費社会」と見做していたことを鑑みれば、次のような発言を含むこの講義は「恐るべき先見の明」である。

「別の言い方をするなら、この新自由主義的統治術において、問題は、社会を、商業的価値および形式から出発して規格化し、規律化することなのでしょうか。大衆社会、消費社会、商品社会、スペクタクルの社会、シミュラークル社会、速度社会といったモデル、ゾンバルトが一九〇三年に初めて規定したモデルに逆戻りするのではないでしょうか。私は全くそうではないと思います。(…)獲得が目指されてるのは、商品効果に従属した社会ではなく、競争のダイナミズムに従属した社会であるということです。スーパーマーケット社会ではなく、企業社会であるということ。再構成されようとしているホモ・エコノミクス、それは、交換する人間ではなく、消費する人間でもありません。それは、企業と生産の人間です」(181)

 長い引用となってしまったが、フーコーは当時の社会批評を名指しで批判している。
 ここに登場する「企業と生産の人間」としての「ホモ・エコノミクス」こそ、まさに新自由主義的「生政治」の対象なのである。そしてフーコーは、ドイツ、フランス、アメリカにおいて、どのように新自由主義的言説が発達していったのかを、入念に分析している。その中で、彼の代名詞と化した「パノプティコン」「規律訓練」といった事柄と、ここで問題となっている統治性との違いを強調している。
 結局この具体的分析に時間をかけすぎた余り、生政治そのものを論じる時間がなくなってしまうが、それでも十分過ぎるほどに素晴らしい出来である。国家理性の衰退、負の所得税とは何か、といった話や、アメリカにおいて、経済学――ホモ・エコノミクスという人間像――が市場経済と直接関係のない場面にまで応用されていくところは圧巻である。日本語訳であっても、フーコーの不快感がはっきり伝わってくる。
 この講義は早すぎた。今、時代がフーコーの分析に追いついたとさえ言える。悲しいことに。
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By amazon
形式:単行本
最近思うことは、フーコー自身が遺言で禁止したということを含めても、思考集成や講義集成の刊行を待ってはじめて「構造主義」の一端はわかるのであり、それはラカンのセミネールが完結しなければ本当はわからないだろうとの絶望あるいは失望、喪失感を感じる。
現代にも繋がるような自由主義の問題について語られている。戦後の占領下のドイツ自由主義にはじまって、そのフランスへの影響、アメリカの自由主義についてふれ(ハイエクは当然として、ハイエクが影響を受けたマイケル・ポランニーの『自由の論理』等が参照されている)、「ホモ・エコノミクス」、一人一企業であるような主体、非経済的領域も投資や資本のタームで解析されるような、完全な市場によって追求されるような理想社会の図が、国家政府は市場に介入するのではなく市場を整備し、市場を完全に機能させるためのゲームのルールの維持のみを行う、そのような自由主義の究極の企図といったものが挙げられる。そしてそのような構成から「市民社会」という対象が析出されていくさまを描写して終わりにしているが、そのような題材を取り上げる必要性の例として、ファシズムやスターリニズムの「全体主義」に対する自由主義陣営の批判が、画一的でありとあらゆる批判のタイプを一緒くたにしてしまい、分析力を失っていることを指摘している。講義でのフーコーによると、全体主義は国家の強化、権限の増大の問題ではなく、党による国家の縮小の問題なのである。
現代につながる地平を取り扱った唯一の論考に見える。その重要度ははかりしれないのではないか。
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