生涯最後に買う本は「吉田秀和全集」にしよう。そう単純に考えていたけれど、この人の文章は、生半可な覚悟では読めない。30年前にも、その知的な香気と含蓄の深さをおぼろげに感じることならできた。しかし、「理解」には遥か及ばなかった。難解な文章ではない。言葉は美しく、論理展開はまっすぐである。言葉の端々に鋭い知性が光る。試されるのは、彼の恐るべき知識と分析力を追えるだけの、こちら側の知力。今の私にとっても、やはり彼は、容易に登頂を許さぬ高峰。私の神。
「吉田秀和は本当に偉いのか」などという特集を組んでいる雑誌がある。どういう結論になっているのか、私は知らない。東大を出て内務省に入省、戦後評論家に転じ、多国語に通じ、ヨーロッパ楽壇華やかな時代に外遊、グレン・グールドを「発見」して日本人の目を開かせた。また活動する批評家であり、小沢征爾ほか多くの芸術家を育てた。中原中也や小林秀雄と交流し、文学、美術、さらには日本の芸能に通暁し、97歳の今も現役で執筆活動を続けている。彼のいない日本の芸術批評など、考えられるか?少なくとも、彼をダシに売名と金儲けを企むアナタよりは、ずっと偉い。
その彼でさえ、批評という行為に疑念を挟むことを止めない。本書でも再々、日本の音楽批評のあり方に疑問を投じる。底の浅い、好き嫌いでしかない、比較論でしかない、ただの感想文が、メディアによって次々に消費される国。「のけぞった」「驚倒した」「仰天した」等々、大げさな表現でインパクトを競う、演奏の好き嫌いを比較するだけで事足りる、気に入らない芸術家を能無し呼ばわりする、アナリーゼなんてできない、情緒だけでモノを言う、芸術の意義・価値・あり方に無関心な自称評論家たち。彼はそんな連中と別次元にいる。本書では、長文の「マーラー」(p.15-81)が、とりわけ圧巻。あえて注文をつけるなら、初出年を各文章の冒頭に記してほしかった。