サイモン・ラトルの、バーミンガム市響との演奏でマーラーの2番を聴いたのは大学生の頃だった。その頃、マーラーが一般人にも流行りだし、マーラーの伝記映画なども上映していた。古典派やフランス印象派くらいは聴いていた自分は、来日したラトル、バーミンガム市響の演奏会がNHKで放送され、ブリテンの鎮魂交響曲とマーラーの1番を聴いていたく感動したため、そのCDを手に入れたのだった。若かりしラトルは、ぎらぎらと目を輝かせ、まだ黒かった髪を振り乱し、力強い指揮ぶりを見せたり、悲しみに暮れて再び立ち上がれなかろう程のせつない表情を見せたり、本当に心穏やかに、アルカイックな微笑みをたたえながら、しっとりとしたなまめかしくも美しい演奏を見せたりしていた。とにかく、クラシック音楽とはこんなにもすばらいものだったのかと、それを見ていた自分は頭を叩き割られるような衝撃を受けたものだった。
バーミンガム市響とのマーラーの2番も、これまた驚いた。それまで聴いたことのある演奏とはかなり違っていて、第1楽章の初めは相当にゆっくりであった。その後も、緩急がかなり極端で、聴いていてかなり戸惑った。5回くらい聴いても、それでも戸惑いのほうが多かったくらいだ。しかし何故か最終楽章のクライマックスはとても感動的で、そのクライマックスの感動を味わいたくて聴いていたようなものだった。しかし、その後聴きこんでいくにしたがって、その極端な緩急は曲全体をまとめあげるのにどうしても必要なもののように感じるようになった。ほかの演奏家のものでは「こうじゃないんだ!」とまで感じるようななってしまっていた。
そんな経験をしてから20年余りして、再びラトルが世界最高峰の楽団と、そのマーラーの2番を届けてくれた。聴いてみるとやはりそこにはラトルがいた。バーミンガム市響とのときよりは荒々しさや若さがなくなってしまった感はあるが、20年前の思いをそのままにベルリン・フィルと曲をさらに美しく作り上げている。
時は折しも東日本大震災で、自分自身も影響を受けている。初めの1週間は断水で、水が自由に使えない生活がこれほど大変なのかと痛感した。また、ガソリンや物流が途絶えてしまい、身動きが取れない、ものが食べれないなどの不安や、何百回に及ぶ余震、さらに原発事故の放射能もれの見えない恐怖にさいなまれている。つぶれるコンビニは後を絶たず、スーパーも品薄、営業時間の短縮など、普通の生活に戻るのはまだまだのようである。そのうえ放射能汚染地区からの避難民の受け入れもしなければならず、地方自治が消耗してきているのは否めない。放射能風評による今後の地方の産業復興も絶望との声もある。
このCDは、今の自分を励ましてくれるラトルからのプレゼントと思っている。地域「復活」のために自分も一所懸命に働いていきたい。