マンハッタンにはとてつもない金持ちと貧乏人が住んでいる。ラジオシティ・ミュージックホール界隈(ロックフェラープラザ)は石油王ロックフェラーの根拠地。不動産王トランプがいて、ウオール街には金融マン、マディソン街には広告マンがひしめいている。一方で車も持てぬ貧民層が地下鉄駅界隈にたむろして住んでいる。
あなたが一年でもNYに住むことになれば、まずユダヤ人のお世話になる。中級以下の殆どのアパート群は彼らの所有で、賃貸契約、立ち退きトラブルともなれば彼らの背後にユダヤ系法律家が控えている。出版業、金融、ジャーナリズム、芸能分野の有力人物はほぼユダヤ系だ。アレンの「マンハッタン」は1979年制作。エンディング・クレディットに、コッチ市長の名がある。コッチ氏は二人目のユダヤ人市長。
生き馬の眼を抜くという言葉がある。New Yorkerの殆どはそういう人種である。ここはアメリカであってアメリカでないと、米国人の多くが口にする。二週間かけてNYから西海岸まで車で旅をした。宿泊した中西部の複数の家で、今仕事でマンハッタンに住んでいるというと、「マー、おかわいそうに、、、」(Oh, poor boy!)と彼らは同情した。
しかし、マンハッタンライフの刺激と魅力は、住んでみないと分からない。薄汚れた街は夕闇が迫ると妖しい淑女に一変する。12月ともなると、高くて暗いビルの谷間にふいに美しいX’マス ツリーが現れて息をのむ。
主人公のアイザックも親友のエール夫婦もこんな街に住んでいる。ユダヤ人アイザックは監督アレンの分身のようである。風貌はぱっとしないが、優しい人柄、少々古風な道徳観。二人目の妻(メ・ストリープ)にも離婚され、目下17歳の高校生(マ・へミングウエイ)と付き合っているが内心やましい思いがないではない。エールからラドクリフ出の才女と浮気していると打ち明けられるが好感しない。彼女(ダ・キートン)が、アイザックお好みのマーラーやノーマン・メイラー(いずれもユダヤ系)、さらにはベルイマン(アレンが私淑する)まで批判するのを聞くに及び、激しく反発する。
妻を愛するエールはいったんは、この魅力的な才女を断念し、アイザックに彼女との交際を勧める。いい仲になるにつれて、潔癖なアイザックは17歳の方の彼女に別れを申し出る。が、結局はこの才女との関係も破たんし、彼は演劇の勉強にロンドンに飛び立とうとする高校生を追って、渡航を見送るよう必死の説得をする。今となっては予定変更はできないが、半年で戻るから、と彼女。半年は長すぎる、君がどう変わってしまうかわからない、と取りすがるアイザックに「人間をもう少し信じなくては」と彼女が答える。
いい年をしたインテリの大人達がフラフラと惚れたり、別れたりを繰り返す中、この高校生がもう少し人を信じなくては、と諭すのである。映画の始めのところで、彼女は「人に深い関係はムリなの、短い関係を変えていくのが新しいやりかたよ。」と述べて、アイザックの古風な人間観と対立していた。今や若い彼女が着実に成長し、人間観を成熟させている。アイザックの当惑、それがやがてかすかな希望に転じていく。この瞬時の表情の変化−これがこの映画のクライマックス。この映画の頃のマンハッタンに6年ほど住んでいた。描かれたような人間模様がきっとどこかであったろうと懐かしさに浸った。