書きたいものがなくても小説家にはなれるんです」や、有名になったりちやほやされるために「小説家になりたい」というモチベーションもOKというくだりには、拒否感を覚えた。
また「小説はパターンとバリエーション」というのも集中してやればいいものができるだろうが、最初からその気持ちなら、いつでも堕落する危険があるのでは? とも感じた。
私は漫画も本の読書も好きだが「漫画のほうが構造がわかりやすいのでストーリー作りの勉強に楽だから、漫画を読んで小説修行をしよう」とは思わなかった。「散文」で構成された小説を書くのならわかりにくくても「小説」を読んで練習したほうが効率的ではないだろうか。漫画の表現方法と小説の表現方法は違うし、漫画を小説に持ってくることで弊害もあるのではないだろうか?
小説家の生活については、いったん仕事になればその他の普通の職業同様「制約がある」のは当然。大人なら、毎日の仕事で毎日やっていることではないだろうか(本を読まない世代が読むことを想定してこういうことを書いているのだろうが)。
アマゾンで買った「ディーン・R・クーンツ」の小説の書き方本に比べて「けだかさ」がなく、たとえば「有名になりたくて」「パターンとバリエーション」をマスターして書かれた本は、上手に器用に書けているかもしれないけれど、そんな本を読むのは読者として人生の時間の無駄ですらないか? と思った。
「自分が天才でないことを自覚した人だけが小説家になれる」には同感。そのために勉強するし、こういう本を買ってもみるのだから。